公開シンポジウム

「小笠原諸島の言語・歴史・社会」の報告

 

文責:ダニエル・ロング(東京都立大学)

後列:セーボレー孝、田中弘之、佐藤元治、阿部 新、長嶋俊介、ロバート・エルドリッヂ。前列:山上博信、春日 匠、ダニエル・ロング、デーヴィド・オードー。(延島冬生は写っていない。写真は小笠原新聞の山縣さんが撮ってくれたもの。)

 

2000年の8月上旬に、父島の地域福祉センターで「小笠原諸島の言語・歴史・社会」という公開シンポジウムが開催された。主催は10人の発表者(表1)で構成された小笠原研究シンポジウム実行委員会であった。小笠原村(特に村役場産業観光課と教育委員会)、日本島嶼学会、東京都立大学小笠原研究委員会の後援をいただいた。滞在中に大型台風が通過したため、スケジュールを急遽変更しなければならなかったが、それにも関わらず100人ほどの参加者が集まった。シンポジウムは「小笠原研究者サミット」の中心的な催しとなっていたが、この他にも、父島の歴史的名所の見学、小笠原在住の研究者との打ち合わせ会、そして一般島民と交流する機会が実現できた。以下では、その主な内容を概説する。

 

表1 小笠原研究者サミット参加者・所属・発表題目

      長嶋俊介(東京都立大学客員研究員・奈良女子大学生活環境学部教授):「小笠原と太平洋諸島―日本列島およびチャタム・グリーンランド・アゾレスの言語・歴史・文化との比較考察―」

      田中弘之(東京都立大学客員研究員・駒澤大学総合企画室):「鎖国と無人島」

      延島冬生(小笠原村役場):「父島、母島…という小笠原諸島の島名はだれが付けたか」

      春日 匠(京都大学大学院博士1年生):「小笠原の歴史を読む:誰に、どう語られてきたか?」

      デーヴィド・オードー(オックスフォード大学大学院博士課程、東京大学大学院研究生):「国の境界と写真のフロンティア 小笠原諸島の古写真」

      山上博信(東京都立大学客員研究員・愛知学泉大学講師),佐藤元治:「小笠原島民の生活権保障を担う法律援助のあり方について」

      セーボレー孝(小笠原村役場産業観光課長):「ナサニエル・セーボレー:ルーツとボニン・アイランズ」

      ロバート・エルドリッヂ(財団法人サントリー文化財団研究員):「小笠原返還と日米関係,1945-1968年」

      ダニエル・ロング(東京都立大学人文学部・助教授):「小笠原諸島における言語接触と接触言語

      阿部 新(東京外国語大学大学院博士2年生):「小笠原諸島父島における日本語方言―地域文化としての存在―」

 

表2 発表者以外の参加者

      梁井久江(東京都立大学人文学研究科・修士1年)

      市岡香代(同・修士1年)

      博多理恵(同・修士1年)

      三鬼晴子(上智大学大学院博士課程後期)

      郭 南燕(Guo Nanyan)(ニュージーランド・オタゴ大学助教授)

      今井純子(慶應義塾大学3年生)

 

表3 研究発表のスケジュール

 

当初の予定

台風接近による変更

8月2日

19:00-19:45 長嶋俊介

15分休憩

20:00-21:00 田中弘之

 

 

19:00-19:45 長嶋俊介

20:00-21:00 田中弘之

 

 

 

 

 

8月3日

 

17:45-18:30 延島冬生

18:30-19:15 春日 匠

 

15分休憩

 

19:30-20:15 デーヴィド・オードー

20:15-21:00 山上博信,佐藤元治

 

中止:延島冬生の発表

14:30-15:15  春日 匠

15:15-16:00  デーヴィド・オードー

16:00-16:45  山上博信,佐藤元治

 

1時間15分休憩

 

中止:セーボレー孝の発表

18:00-18:20 ロバート・エルドリッヂ

18:20-18:40 ダニエル・ロング

18:40-19:00 阿部 新

8月4日

17:45-18:30 セーボレー孝

18:30-19:15 ロバート・エルドリッヂ

15分休憩

19:30-20:15 ダニエル・ロング

20:15-21:00 阿部 新

 

 

 

 

表4 シンポジウム以外の行動(団体行動、あるいは個人行動)

      聖ジョージ教会の見学、礼拝参加(小笠原愛作牧師に御礼申し上げます。)

      小笠原水産センターで魚の飼育設備の見学、説明(木村ジョンソンさんに御礼申し上げます。)

      地域福祉センターの図書館の「小笠原コーナー」見学(相原図書館員に御礼申し上げます。)

      小笠原教育委員会が保管している明治時代の資料など閲覧(嶋田教育長、島田課長に御礼申し上げます。)

      小笠原ビジターセンターの見学(マージー・ワシントンに御礼申し上げます。)

      小笠原海上保安署の訪問(鶴崎洋二署長に御礼申し上げます。)

      おがさわら丸操舵室の見学(京極精一船長に御礼申し上げます。)

      「サマーフェスティバル」で父島に伝わる伝統音楽の演奏拝聴

      小笠原海洋センターの見学(山口真名美研究員に御礼申し上げます。)

      Perry来航記念碑などの各モニュメントの視察

      コペペ海岸、および付近の戦争遺跡の見学

      洲崎滑走路跡、小港海岸、夜明山通りの見学

      欧米形島民のアウトリガー・カノーの見学

      小笠原を研究している理科系の研究者・学生・院生との交流会

      ホームペイジBonin Voiceの北国伸隆さんとの会談

      小笠原自然文化研究所の堀越和夫理事長と鈴木創事務局長との会談

      公開シンポジウムの出版・次回研究会計画の打ち合わせ会

      大根山墓地でナサニエル・セーボレー氏のお墓参り

 

反省会・次回研究会の打ち合わせ会で出たアイデア・提言

      2002年の研究シンポジウムの開催に向けて準備する

      参加者に感想・連絡先を書いてもらい、次の研究会案内を郵送、送信する

      島民の家で「ホームステイ」する可能性を探る

      おがさわら丸船内で「海上教室・小笠原学セミナー」の開催を検討する

     島民との交流会(懇親会、島料理教室、南洋おどり実演など)を行う

     このまでの現地調査に協力してくれた島民への感謝を含めてちょっとしたサイン会(今回の論文集、発表者の著書など)

図1 公開シンポジウムのポスター

 

参加者による最近の著書

阿部 新(2000)「日本語小笠原諸島方言のコイネー(koine)の可能性老年層の動詞・形容詞」『言語・地域文化研究』6 東京外国語大学大学院地域文化研究科

阿部 新(2000.2)「中高生のメディア接触と言語使用・言語意識小笠原と練馬でのアンケート結果から」前納弘武編『離島とメディアの研究小笠原篇』学文社, 241-280

阿部 新(2000.1)「小笠原諸島における方言イメージ多変量解析とメディア接触・属性差の影響」『地域文化研究』3: 1-11 東京外国語大学大学院地域文化研究会

阿部 新(1999.10)「メディアと若者の言語使用 ―小笠原諸島の中高生―」『日本社会情報学会第4回大会報告論文集』14-15

阿部 (1999.1) 『日本語方言における言語接触 ―小笠原諸島をフィールドとして―』東京外国語大学修士論文

阿部 (1998) 「小笠原における日本語の方言形成」『日本語研究センター報告』6:149-160

Eldridge, Robert (2001) Okinawa in Postwar U.S.-Japan Relations, 1945-1952: The Origins of the Bilateral Okinawa Problem (New York: Routledge) (1999年神戸大学大学院博士論文)

Eldridge, Robert (2000.3) “To Base or Not to Base?  Yoshida Shigeru, the 1950 Ikeda Mission, and Post-Treaty Japanese Security Conceptions,” 神戸大学法学部編 Kobe University Law Review, Vol. 33: 97-126, 1999

エルドリッヂ,ロバート・D (1999.12) 読売論壇新人賞最優秀作「サンフランシスコ講和と沖縄の処理 ―『潜在主権』をめぐる吉田・ダレスの『交渉』」読売新聞調査研究部編『読売論壇新人賞入賞論文集』

Eldridge, Robert (1999) “Referendums on the U.S. Military Bases in Okinawa: Local Concerns Versus National Interests,” in Ofer Feldman, ed., Political Psychology in Japan (New York: Nova Press).

エルドリッヂ,ロバート・D (1999.3)「昭和天皇と沖縄 ―『天皇メッセージ』の再考察―」『中央公論』

エルドリッヂ,ロバート・D (1999.2)「ジョージ・F・ケナン、PPSと沖縄 ―米国の沖縄政策決定過程、1947-1949年―」日本国際政治学会編『国際政治』120

Odo, David (April 2000) "Anthropological Boundaries and Photographic Frontiers: J.H. Green's visual language of salvage" in Burma Frontier Photographs: 1920 - 1930 (Brighton: Trustees of the Greene Centre for Non-Western Art, Royal Pavillion of Art at Brighton)

Odo, David (1999) "Visualising the Islands: Visuality and Representations of the Ogasawara Islands" Unpublished MPhil thesis, Oxford University.「島嶼をビジュアル化:ビジュアル性と小笠原諸島の描写」オックスフォード大学修士論文

Odo, David (1998) "Japan: An Imagined Geography, constructing place through a nineteenth-century tourist photo album from the Pitt Rivers Museum collection" Unpublished paper submitted as part of qualifying examinations for the degree of MPhil at Oxford University.

春日 匠 (2000)「国境の経験 ―小笠原の民族誌的問題と地政学的意義―」京都大学人間・環境学研究科 修士論文

春日 匠 (1999)「小笠原のオリエンタリズム ―『帰化人』をめぐる言説の系譜学―」『小笠原研究年報』23:85-96

春日 匠(1997)「航海術の歴史 ―空間認識の変遷としての―」国際基督教大学 卒業論文

春日 匠 (1995)「村の政治、その生成」『文化人類学調査実習報告書 第十巻 瀬戸内・高見島の生活誌』大森元吉・八木橋伸浩編, 国際基督教大学教養学部  社会科学科 人類学研究室刊

郭南燕 Guo, Nanyan (1999) 「蝸牛、杜鵑花与飛机 −小笠原群島的選択」(かたつむり、つつじ、飛行機−小笠原群島の選択−)」 『日本研究集林』 2: 29-35.  Fudan大学日本研究中心(上海)

田中弘之 (1997)『幕末の小笠原』中公新書1388中央公論社

田中弘之 (1995)「小笠原島と捕鯨船」『日本海事史の問題対外関係編』(石井謙治編)文献出版, 197-216

田中弘之 (1993)「江戸時代における日本人の無人島(小笠原島)に対する認識」『海事史研究』50:30-44

田中弘之 (1987)「渡辺崋山と田原藩の海防をめぐる一試論」『駒沢史学』36:134-14938:63-77

田中弘之(校訂)(1983)『幕末小笠原島日記』縁地社

田中弘之 (1976)「幕末の一小笠原島民をめぐる裁判問題―いわゆるホーツン事件について―」『駒沢史学』23:63-86

田中弘之 (1975)「咸臨丸の小笠原島への航海」『海事史研究』25:83-105

田中弘之 (1973)「文久度の小笠原島回収をめぐる外交」『駒沢史学』20:35-45

田中弘之 (1969)「文久度の小笠原島開拓と捕鯨事業」『海事史研究』11:136-146

長嶋 俊介1999『離島・島嶼地域の生活経済・生活権と郵政事業』近畿郵政局・ポストラル

長嶋 俊介1999『離島における多自然居住構想とその指針について』国土庁離島振興課

長嶋 俊介1998「南太平洋島嶼国の消費者教育の理論と実践」『消費者教育(第18冊)

長嶋 俊介 1998 21世紀のライフ(人生・生活・生命)設計と生活経営学」フィナンシュランス研究レポート27

長嶋 俊介 1998「阪神淡路大震災における相互扶助システム 淡路・奥尻・島原事例の比較考察」『国際協力論集』

延島冬生 (1999)「小笠原諸島産固有種ムニンフトモモ(Metrosideros boninensis Tuyama)の分布と生態(続)『小笠原研究年報』23:13-28

延島冬生 (1998)「小笠原諸島に伝わる非日本語系の言葉」『日本語研究センター報告』(特集:『小笠原諸島の言語文化』大阪樟蔭女子大学日本語研究センター)6:129-147

延島冬生 (1997)「小笠原諸島先住民の言葉」『太平洋学会誌』72-73:77-80

延島冬生 (1997)「無人島はぶにん島か、むにん島か」『小笠原研究年報』20 東京都立大学小笠原研究委員会

延島冬生 (1995)「植物に因む小笠原諸島の地名」『小笠原は楽園』星 典編 アッボク社

延島冬生 (1995)「小笠原諸島・父島列島ー弟島の地名」『日本地名研究所紀要』2:71-94

延島冬生 (1994)「小笠原諸島母島列島における先住移民関係の地名」『日本地名研究所紀要』1:28-37

延島冬生 (1994)「小笠原諸島・父島列島・兄島の地名」

延島冬生 (1993)「タコノキ(小笠原)」(82-83),「コペペ(小笠原)」(123),「ピーマカ(小笠原)」(490-491)『伊豆諸島・小笠原諸島民俗誌』東京都島嶼町村一部事務組合

延島冬生 (1990) 「ボニンアイランドという名前」『翼の王国』251

山上 博信(1999)「小笠原巡回無料法律相談事業略年表」東京都立大学『小笠原研究年報』23:97-113

山上 博信 (1999)「調査報告 隔絶島嶼における郵政事業 小笠原諸島における郵政事業の実状」『コミュニティ政策学部紀要』1号189頁

山上 博信(1999) 「『離島刑事弁護』その実質化を阻む原因の究明及び具体的解決策」(学会報告等 日本刑法学会名古屋支部 部会研究報告

山上 博信(1999)「法律家とのつきあいのすすめ」(小笠原村主催法律講演会 1999年10月16日〜17日)

Long, Daniel (2001予定) “A Mixed Language on the Bonin (Ogasawara) Islands”  In Peter Bakker, ed. Mixed Languages II,(小笠原諸島における「混合言語」)

ロング・ダニエル(2000)「小笠原諸島の言語と文化に見られる太平洋諸島の影響」『徳川宗賢先生追悼論文集 20世紀フィールド言語学の軌跡』変異理論研究会,79-96

Long, Daniel (2000) “Examining the Bonin (Ogasawara) Islands within the Contexts of Pacific Language Contact” In Steven Fischer and Wolfgang B. Sperlich, eds. Leo Pasifika: Proceedings of the Fourth International Conference on Oceanic Linguistics, 200-217(太平洋地域の言語接触からみた小笠原諸島)

Long, Daniel (2000) “Evidence of an English Contact Language in the 19th Century Bonin (Ogasawara) Islands”  English World-Wide 20.2:251-286Amsterdam: John Benjamins)(19世紀小笠原諸島における英語の接触言語の存在を裏付ける証拠)

ロング,ダニエル (1999)「『危機言語』としての小笠原ことば」『月間言語』28.9:2-3

ロング,ダニエル (1998)「日本における言語接触とバイリンガリズム ―アイデンティティーと言語使用―」『日本語学』17. 9:108-117

ロング,ダニエル (1998)「小笠原諸島における言語接触の歴史」『日本語研究センター報告』(特集:『小笠原諸島の言語文化』大阪樟蔭女子大学日本語研究センター)6:87-127