小笠原への旅
著者 岡田弥一郎
年代 1930
初出 『科学画報』14
此夏小笠原島へ同学の士二三とその動物相を観に行った。島は地質学的にも植物学的にも興味の深いものであるが茲には自分の畑の動物のみに就て観たところを述べて見よう。此島は位置の上から考へると、その陸産、諸水産の動物相が琉球や台湾と関係が深く如何にも熱帯的色彩の濃い様に思はれるが、実際観察すると寧ろ独立した大洋島嶼的の要素が非常に多くて、琉球又は台湾とは余程縁遠いものの様に思はれる。哺乳類で陸産のものは五種即ちヲガサワラカウモリ、ヱジプトネズミ、ハツカネズミ、ヲガサワラシカ、ヤギ等であるが、此内歴史的に興味の深いのはヲガサワラシカであろう。此シカは嘉永六年に米国ペリにより移入したものであると島人が言って居るが、ペリ開拓当時は既に父島列島に沢山棲棲んで居たものであるらしい。其後島の文化と共に次第に猟穫されて其上、農作物を害すると言ふ点から撲滅に島民が努力したので今は全く其姿を見る事は出来ない。僅かに剥製標本の雌雄で、頭骨だけが支庁の標本室内に名残を留めて居るに過ぎない。ヲガサワラカウモリは此処に特有な種で文久年間には非常に多く長桿で打ち落して捕へたと言ふ程であったが今は父島母島にも稀である。柑橘以外の果実、特にバナナを嗜食するので有害なものとして取扱はれて居る。元来ペリは小笠原島の殖産には尠からず意をそそいだもので、色々な家畜や家禽類を移入して増殖を図った。牛、豚、羊、鶏、七面鳥等は其記録に残るもので、その内最も好果のあったのがヤギである。この種も現在は父島に尠く聟島列島に僅かに姿を残して居るにすぎない。其他海産哺乳類としては最も鯨類が多い。硫黄島、小笠原島近海は非常に鯨が多かったが、捕鯨業が盛んになって次第に減って来た。然し現在でも相当穫れるらしい。例へばシロナガスクヂラ、ザトウクヂラ、マッコウクヂラ等は其主なるもので、父島二見湾の東洋捕鯨会社で冬期其捕獲をやって居る。
日本で鯨を研究する時には尠くとも小笠原近海に於ける調査を忘れる事は出来まい。鳥類は籾山徳太郎氏の調べによると三十余種棲んで居るが特産のものは十七種程居るらしい。其分布系統から観るとミクロネシア地方に関係があり、又一方には本州地方とにも関係があると言はれて居る。最も有名になって居るものはオガサワラシマシコで其形はシメとイカルの中間性を示し、羽は茶色で頭から背、顔等は赤味がある。始めて採集されたのが文政十年で、英国測量艦ブロッソム号の週航した時僅か二羽を穫へ、其後翌年文政十一年にキトリッツ氏は本島の大採集を試みて数羽を故国に持帰った。其後本種の採集を試みたが遂に一羽も獲れなかった。余等の一行蜂須賀正氏氏も大に努力したが見当らなかった。恐らく何等かの理由によって絶減したものであらう。メジロに縁の近いメグロは特産でシマメジロ又はヲガサワラメジロ等と呼れて居るが近来ボニンメジロの増殖の為め著しく減少して来たらしい。尚ほ絶減したと称せられて居るものにヲガサワラグツビテウがある。体はイソヒヨドリに似て居るが小さく、羽は褐色で背と翼の両覆には黒色の縦斑がある。文政十一年キトリッツ氏が採集したのみで、其後採られた事がない。ハシブキゴヰは小笠原特産の一つで、尚ほ鷺類にはヨシゴヰ、アマサギ、チウサギ、コサギ、アヲサギ等が渡鳥として出顕し、留鳥としては一つもない。
此の外絶滅種の第三例としてヲガサワラカラスバトがある。体は大きく色彩は上下両面共に稍淡色を呈し、頭頂から背に亘り金属紫赤色を呈して居る。ブロッソム号が文政十年に初めて採って居るが其後ホルストやキトリッツ氏等が一二羽採ったのみで今は見えない。海鳥の類には沢山の種類が見られる。諸処で産卵するので其生態的観察をするのに最も好適の地であらう。自分等が採集に出掛けた時もミヅナギドリの其親が巣の中で仔を育てて居るのを観察した。海鳥の行動は魚群の方向又は密集の状態と深い相互関係があるから斯様に多産する地方で其方面の研究をして見たら面白いであらう。海鳥として主なものはアカヲネッタイテウ、オホグンクヮンドリ、カツヲドリ、クロアヂサシ、トリシマアヂサシ、シロアヂサシ、マミジロアヂサシ、セグロアヂサシ、クロアジアハウドリ、コアハウドリ、アハウドリ、アナドリ、シロハラミヅナギドリ、ヲナガミヅナギドリ、クロウミツバメ等が居る。(鳥類に就ては籾山徳太郎氏による所が多い。)委しい事は同氏が日本生物地理学会々報に発表される。爬虫類では何と言ってもアヲウミガメ正覚坊を第一に押したい。現在は各島に産卵する為め来るものを穫へて二見湾内の池に集め人工産卵場で産卵させる様にして居る。
爬虫類の産卵状態を斯く手近に見られる所は此処を除いて他にあるまい。自分等の滞在して居る七月上旬は恰度産卵期に際して居たので、其状況を観察する事が容易に出来た。一時に産む卵数は百から二百位で産卵を開始する時から終まで約三時間を要する。多くは夜十時以後から始まるもので其産卵中は懐中電気で照らし以て観ても一向臆する色なく平気でやって居る。卵は産まれてから早速孵化場の方に運ばれ地下七八寸の深さに掘られた穴の中に保存される。概して五六十日間で孵化するが其当時の幼仔は甲の色も親と略ぼ同じ様になって居るが四肢の運動は親と異って全く陸棲動物のと同じである。之が次第に水棲動物になれて其運動が変って来るものらしい。六月十一日に産卵したものを持ち帰へり、家の砂地に埋めて置いた所が十五箇のものは八月九日に全部卵膜を破って飛び出した。親の大きなものは五六十貫に達するが普通は三十貫位のものが多い。其他アカウミガメ、タイマイ、スッポン等も居るがスッポンは野生のものでなく移入したものであらう。陸産の爬虫類は極めて貧弱で固有種であると断定さる可きものはない。何れも他から何かの方法で移入されたもので現在繁殖して居る様に思はれる。即ちヲガサワラヤモリとヲガサワラトカゲとであるが何れも南洋系統に近いものであらう。又両棲類にも固有のものが居ない。
のみならず自然に分布して居るものもない。唯だ僅かに大正十五年支庁で食用蛙を東京府農事試験場が取寄せて飼育し現在では八ツ瀬川流域の沼地に放飼したものが盛んに繁殖して居るとの事である。食用蛙を渡瀬教授が移入してから未だ日本内地で天然の状態に繁殖を試みた事がないのに、離島に於て始めて其状況を観る事の出来るのは非常に面白い、恐らく台湾の様に食餌さへ充分与へられれば気候其他の関係から大に繁殖するものであらう。小笠原から東京のレストウラント等に其原料が送られる様になれば渡瀬教授の移入に努力された効果も見とめられるであらう。海産の魚類は非常に其種類が豊富であるが充分観る時がなかった。然し淡水の魚類は各離島に於て充分観察が出来た。多くはハゼの類で三種、鰻の類カニクヒ及びタツプミンノウが非常に多い。僅か五種しか分布して居ないのは全く河川の発達が地理的に悪い結果で此等の魚類は何れも海産のものが淡水に次第に適応して来たもので斯様な類は台湾琉球、其他熱帯地方の島嶼に於てよく観られると同じ現象であらう。此の内タツプミンノウは蚊の幼虫を捕食するのでよく知られ胎生をするのでも有名である。何処の川口にも多いが特に八ツ瀬川口には非常に多く繁殖して居るのが観られる。以上の脊椎動物から観ると此島の動物相は琉球台湾とは何れも関係の遠い状態にあるもので反ってミクロネシア地方と交通其他の理由から縁の近いものが棲んで居た。所謂大洋的島嶼の色彩を充分現はして居るものであるらしい。之に比較して淡水や陸産の貝類を一瞥するのも面白い。此類は黒田徳米(とくめ)氏が充分調べられたもので、之も日本生物地理学会々報に委しく報告されたが、陸産の貝類が最も其発達に好適な自然の状態を総て有して居るのがこの島である。気候は温暖で湿気多く、石灰岩の地層が多いと言ふ点は其理由である。
陸産のものは今迄八十種知られて居るが主なものはヤマキサゴ、クビキレガヒ、ベッカウマイマイ、ヱンザガヒ、コシカタマイマイ、カママイマイ、キセルガヒ、スナガヒ、ノミガヒ等の類で此内カタマイマイの大形のものは現在絶滅して半化石になって残って居るに過ぎない。如何に地形の変遷が著しかったかを偲ばせる材料ともならう。淡水産のものは大きな河川もなく湖沼もない事から極めて種類が尠く僅か三種が知られて居るカハニナとカノコガヒの類のみである。斯様な分布状態から考へると小笠原島は矢張り琉球台湾等と関係が尠く他の動物相と同じく原始的な太平洋の島嶼型を示して居る事は面白い。