小笠原島の話に就て
著者 土居曉風
年代 1914
初出 『郷土研究』2巻6号
中村氏の小笠原島の御話(二巻三五三頁以下)には些し違ったと思ふ所がある。父母両島及び硫黄島の外にも人の住む島がある。聟島・媒島・弟島・姉島・姪島などには定住の民が居る。殊に弟島には学校まである。又硫黄島で人の住むのは北中の二島で、南硫黄島は無人である。
此島第一回の移民は、日本の天保元年に伊太利人ジョン・マザロが引率した一団体であって、全く永住の見込を以て渡来したのである。五名の白人が布哇島民男女十七人を連れて来たので、臘虎船の水夫が休養の為上陸して其まま居残ったり、マリアナ群島からカナカの女を連れて来たのは其後の話である。
二見岩は港の入口では無く、港の奥の清瀬に在るのである。入口のは烏帽子岩(英称スクエアロック)、扇浦の向ふに在るのが要岩(英称キャッスルロック)である。
幽霊やお化の話はまるで無いことは無い。現にこの八月号の武侠世界にも其一例が出て居る。併しそんな話は一体に少ない。是は八丈島も同様である。