1.中川裕(1993)「アイヌ語を訪ねて1」『月刊言語1』:88 93
フィールドワークということに重点をおいてかいている。アイヌ語との出会い。まつ子さんという人に出会ってアイヌについて学んだ。まつ子さんは大正2年ペナコリ生まれの63歳である。アイヌ語を流暢に使いこなせる人間としてはすごい人である。過去の歴史は、研究者がアイヌ語に気がつかず、アイヌ語にきちんと応えてこなかったことを示している。その結果、アイヌ語・アイヌ文化の研究者とアイヌの人々との間には深い溝ができてしまっていた。
2.中川裕(1993)「アイヌ語を訪ねて2」『月刊言語2』:90−95
アイヌの人々との出会いについてかかれている。それはフィールドワークを行うことの一番楽しい部分でもありまた一番苦しい部分でもある。そしてアイヌ語の話し手に会うことの難しさは話せる人間が少ないということである。千歳に通うようになってからよくわかったことはそこもほんの十年くらい前まではアイヌ語とかアイヌ文化とかいうことを口にするのが大変難しい状況だったということである。
3.中川裕(1993)「アイヌ語を訪ねて3」『月刊言語3』:96 101
アイヌ語学者になるのは大変だということがかかれてある。「アイヌ語を研究している」ということ自体が、すでにマイナスイメージだからである。最近、北海道に住む知人が保健所の集団検診をうけた際、自分の採血された血の量と、アイヌの人たちの採血された量とがだいぶ違うのに不審を抱いて、保健婦さんを問いただしたところ、ある大学の教授に頼まれて健康診断と別にこっそりアイヌ人の血液検査をしたことを認めた。一部の人間はこういうことをいまだやっているという悲しい出来事がある。
4.中川裕(1993)「アイヌ語を訪ねて4」『月刊言語4』:98 103
意味記述から精神世界へ。この人の目標はアイヌ語の辞書作りである。本当に実用的な辞書を作ろうとしている。もっとも、母語以外の言語を学ぶという行為はそれによってその文化に触れたい、その言葉を使って相手とコミュニケーションしたいという願望に支えられて行われる。しかし言語学者というのは、それなしに言葉を学ぶという行為ができる唯一の特殊な人種なのである。
5.中川裕(1993)「アイヌ語を訪ねて5」『月刊言語5』:104 109
アイヌ語を伝え残す者たちの思いがかかれてある。アイヌ語にはもちろん標準語というものもないし、共通語といったようなものも発達させてこなかった。それに話者の絶対数が少ないから、流暢な話し手が一か所に何人もいるとはかぎらない。子孫にアイヌ語を伝え残し、その人たちがいつでも利用できるような状況を作ることが、データを自分のものとして利用する際の約束であった。
6.中川裕(1993)「アイヌ語を訪ねて6」『月刊言語6』:100 105
アイヌ語を受け継ごうとする人々の中へ。言語学におけるフィールドワークというものを生身の人間を通じてとらえるということに他ならない。そしてアイヌ人はアイヌという言葉を嫌がっていた。アイスクリームという看板をみても、アイヌと書かれているような気がしてどきっとしたというぐらい。今、現在アイヌ人を取り巻く社会問題も、解消されたというようにはほど遠い状況であるアイヌであることを自ら否定している人などまだまだ大勢いる。逆に、こうした社会状況を変革することが可能ならば、アイヌ語の話し手、アイヌ語を学ぼうとするアイヌ人の数は、いっきに増えていくかもしれない。
7.中川裕(1995.3.1)『アイヌ語をフィールドワークする ことばを訪ねて』
アイヌ語を訪ねて
1,アイヌ語との出会い 2,人々との出会い 3,学者になるなよ 4,意味記述か
ら精神世界へ 5,伝え残す者たちの思い 6,受け継ごうとする人々の中へ
アイヌ文化のキーワード
1,カムイ 2,ポクナモシリ 3,名前 4,イオマンテ 5,祈り・夢・トウス・
フィールドワークの楽しみと悩み
1,料理 2,祭り 3,通い道 4,謝金
アイヌ語の現在と未来
1,アイヌ語の話し手はどのくらいいるのか 2,話し言葉としてのアイヌ語 3,書
き言葉としてのアイヌ語 4,アイヌ語の未来
8.野村義一・山川力・手島武雅共編(1993.9.15)『日本の先住民族アイヌ』
アイヌ民族の歴史や「アイヌ民族に関する法律」についてや先住民族の権利と自決権論争がかかれてある。
第1 基本的人権
アイヌ民族は多年にわたる有形無形の人種的差別によって教育,社会,経済などの諸分野における基本的人権を著しくそこなわれてきたのである。このことにかんがみ、アイヌ民族に関する法律は、アイヌ民族に対する差別の絶滅を基本理念とする
第2 参政権
明治維新以来、アイヌ民族は「土人」あるいは「旧土人」という公的名称のもとに一般日本人とは異なる差別的処遇を受けてきたのである。明治以前については改めていうまでもない。したがってこれまでの屈辱的地位を回復するためには、国会らびに地方議会にアイヌ民族代表としての議席を確保し、アイヌ民族の諸要求を正しく国政ならびに地方政治に反映させることが不可欠であり、政府はそのための具体的な方法をすみやかに措置する。
9.茅辺かのう(1984.9.20)『アイヌの世界に生きる』(筑摩書房)
冬の十勝の畑作地帯は、まばらな農家と、きれぎれに走る裸木の防風林と、黒ずんだ針葉樹の木立のほかは白一色に覆われ、捉えどころもなく広く感じられる。十勝平野の北東、足寄町の近くに住む70歳近いアイヌのトキさんについてのお話である。そして、トキさんのアイヌ語の一部も紹介されている。例えば、シキ 眼,エッフ 鼻,チャロ 口,レッ ひげ,ベンラム 胸などである。
10.朝日新聞アイヌ民族取材班(1993.11.15)『コタンに生きる』(岩波書店)
自然界の神がみ、「カムイ」に礼を尽くす、アイヌ民族伝統の生き方。叙事詩や昔話、祭祀などに息ずく豊かな精神文化。アイヌ語の不思議な魅力。春夏秋冬のコタンを訪ね、日々の営みや伝統を取材している。そして古老の話を聴き、若者と語り合っている。被差別の歴史の重みと先住民族の誇りの間で揺れ動きながら、先祖の哲学を受け継ごうとするアイヌの人々の心情を細やかに描き出している異色ルポである。
11.本多勝一(1993.4.15)『アイヌ民族』(朝日新聞社)
この本は、アイヌモシリ・ハルコロ・パセクルの第3部から成り立っている。第1部には四季の話や大森林の話がのっている。第2部には吹雪の日や雪どけの日の話がのっている。第3部にはウパシクマ・パセクル・シロマイヌについてのっている。ちなみにウパシクマと実在する特定の人なり家族なり事物についての故事来歴を伝承したものである。
12.財団法人アイヌ民族博物館(1993.10.1)『アイヌ文化の基礎知識』(草風館)
この本は、アイヌモシリ(大地)のうえで自然の恵みを亭受して、自然とともに生きてきたアイヌ民族の生活文化をわかりやすく説明したもの。日本だけではなく、地球的な規模で環境破壊がすすんでいる。近代的産業や開発によって自然の大地は削られ、森は切り拓かれ、動物は絶滅の運命にさらされている。便利さとひきかえに、水や空気はどんどん汚染されていく。日本列島の先住民であるアイヌ民族は、昔から自然と共生し、自然の知恵を学んで素朴な生活をしながら、伝統文化をはぐくんできた。
13.榎森進(1987)「北海道の人びと〔2〕」『アイヌの歴史』(三省堂)
「日本民衆の歴史」シリーズの一冊として刊行された本である。アイヌ差別の歴史的構造とその実態の解明を基本におき、各時代ごとのアイヌ民衆が当面した問題や、そのなかでのアイヌ民衆の生き方や考えに焦点をあてている。さらに、巻末には、アイヌに関する文献・史料が若干のコメントとともに紹介されている
14.三好文夫(1973)『アイヌの歴史 神と大地と猟人と 』(講談社)
川上地方のアイヌを中心に、アイヌに向けられた偏見を批判しつつアイヌ文化を紹介し、断片的ではあるが、歴史をもつづっている。「ペニウンクル・コタンの移転問題」やそれに関連した「首長クーチンコロの話」などがある。
15.大阪人権歴史資料館(1993)『近代日本とアイヌ民族』
近代日本におけるアイヌの現状、対アイヌ政策および抑圧、差別、偏見に対するアイヌ民族の生活の活動等を、関連する文書、写真、図書などの史資料を図版として多く掲載して紹介している。さらに、それらの史資料の所蔵先も掲載されている。
16.宇田川洋(1988)『アイヌ文化成立史』(北海道出版企画センター)
考古学者である著者が北海道の土器文化を通してアイヌ文化の成立を論じている。土器文化の紹介に多くのページを使い、さらにその説明もかなり専門的なものとなっている。アイヌ文化の前段階としての土器文化はどうしても踏まえておきたい時代である。
17.萱野茂・須藤功共編(1976)『アイヌ民族の復原 チセ・ア・カラ』(未来社)
チセを建てていく過程が写真入りで詳しく解説されている。場所の選定、材料の採集、骨組みの形態や屋根葺きの方法、それに付属施設の建築のようすなどその工程が実によくわかる。この本のもう一つの特徴は、アイヌ語と日本語で解説文が構成されていることである。文を対比させることにより、チセの部分名称や材料の名称などアイヌ語で何というのかを知ることができる。
18.鷹部屋福平(1943)『アイヌの住居』(彰国社)
著者である鷹部屋福平氏が北海道各地のチセを調査した結果をまとめたものである。内容としては、チセの建築工程、各部の名称と構造の特徴、付属施設、それに地方差などについて解説している。
19.藤村久和(1985)『アイヌ、神がみと生きる人々』(福武書店)
アイヌの人々の一生を平易な文章で綴りながら、併せてアイヌの信仰観、世界観を紹介している。そして、それらを現代のものにあてはめ、比較しながら書いている。さらに、この本はカタカナが少ないのでアイヌ語は苦手だという人にも大丈夫である。
20.第八版増補(1987)『アイヌの足跡』(アイヌ民族博物館)
多くのアイヌの古老に接し、その見聞したものを書き記したもので、白老地方のアイヌの習俗を多くの挿画とともに紹介している。
21.図書刊行会(1979)『写真集アイヌ』
昭和52年2月、北海道の平取町二風谷でおこなわれたイオマンテの記録を中心に、チセ? ア・カラ(家造り)、アイヌの結婚式、そして二風谷の風景を写真で紹介したものであるアイヌの習俗には地域差があり、たとえばイオマンテにしても、ヌササン(幣場)に祀る神がみ、神がみへの祈り言葉などにおいて違いがみられる。
22.萱野茂(1988)『カムイユカラと昔話』(小学館)
北海道平取町二風谷にある「萱野茂アイヌ記念館」の館長である萱野茂さんが、数十年にわたって採集してきたカムイユカラ、昔話、子守歌など51編を紹介した本である。最初に「アイヌと神がみの世界」と題して、アイヌと神がみとの関わりを述べ、さらに、その「あとがき」に「各作品の末尾に解説ページを設け、その作品のテーマ、作品の背景、アイヌの風習について、萱野さんの長い実生活の体験をもとに解説し、また作品に登場する民具について、その材質、使用法などを記し、下段にその民具の図版を掲出した」とあるように、実に豊富な内容となっている。
23.更科源蔵アイヌ関係著作集VIII(1983)『アイヌの童戯』(みやま書房)
アイヌの子供たちの遊びをイラストとともに紹介している。アイヌの子供たちの遊びは狩猟や裁縫といった将来の生活に必要な訓練の場であり、さらに自然との接し方を学ぶ場でもある。自然とかけ離れ、野外で遊ぶことの少なくなった現代の子供たちにぜひ紹介したい本である。
24.早川昇(1970.9.16)『アイヌの民族』(岩崎美術社)
北蝦夷の山人ばなしや海の神の話がいくつもかかれてある。それに歌までもかかれてある
おもしろい本である。
歌の例を一つあげてみると、
酔ひどれた ウタリの寝てた 辻で
夜は ウタリの 牧師道説く
ウタリ等よ 酒だけ止せと 幾度か
叫んだ俺は 何だ 此のざま
ウタリ等よ 目覚めよ起きてと 叫ぶのも
酒の元気で 俺は 怒鳴るか
そしてアイヌ民族見学者のための道しるべもかかれてある。
函館 市立博物館(青柳町)所属、アイヌ資料館。および、アイヌ関係古資料を見たい人は、隣接する市立図書館が魅力である。札幌 北大植物園内の北海道大学博物館を必ず見られること。月寒種羊場内の羊が丘には、「アイヌ記念館」なるものがあって、冬を除く季節、来観者に、風習・民具等に関する説明を与えている。 登別 登別駅からは、さして遠くない「子供の国」へ行かれると、日高・胆振両地方のアイヌ女性達から、歌踊を見せてもらえる。
25.北海道教育委員会(1989.3)『アイヌのくらしと言葉1』
北海道が昭和48年から昭和55年にかけて採録したアイヌ語や民族に関する膨大な口述資料の中から、かつての日常生活と儀礼、その中で暮らしていた多くの人々、地理的環境、ものの見方・考え方などの内容を含んだ部分をとりまとめている。アイヌ語による物語を理解するには、それなりの知識が必要である。衣食住を始めとした往時の暮らしぶりに疎ければ、物語が進むにつれて主人公の動きを頭の中でイメージしようにも迫力を欠くものとなり、物語に接する楽しみが半減してしまう。また、名称だけでその物自体を見たことがない、または仕組みがわからないということは、物語の理解を妨げることにもなる。今回取りまとめたものはそうしたことへの重要な参考書となる部分が少なくない。そしてこの本は5巻まである。
26.萱野茂(1995.3.25)『アイヌ民族写真・絵画集成第1巻 アイヌ民族の祭礼・神がみとの交流 』(日本図書センター)
かつて二風谷で行われたイヨマンテや今も続いているチプサンケ、歴史に残る貝澤正さんの貴重な葬式の様子がのっている。そして北海道内各地域に遺されていた門外不出の写真が掲載されている。この本によって、古い時代のあるいは現在の民族文化継承のあり方を問いただしてほしいと思う。 イヨマンテ(熊送り)の精神文化、神がみとの交流、カムイ イヨマンテ(旭川)、チプサンケ(白おろし)、アイヌ民族の死生観などがのっている。そしてこの本は6巻まである
27.菅泰雄(1991)『アイヌ語静内方言話者の日本語音声と語彙』
日本における異言語であるアイヌ語の話者を対象として、その日本語音声を収録したもののうち、アイヌ語静内方言話者である織田ステノさんについての報告がかかれている。静内はもともとアイヌ語が話されていた地域であるが、明治に入り、東北地方出身者や淡路からの入植者が来て、さまざまな言語が行われていた。そしてこの論文では従来北海道方言の形成に関する多くの研究で指摘されている複数の方言が接触した場合の言語のありように、アイヌ語話者という要素がさらに加わったケースについて音声、文法・表現、語彙の面から若干の考察を行なった。
28.伊藤静致(1966)『日本語アイヌ語同系論原々稿』
アイヌ語諸方言の言語年代学的調査の結果、日本語とアイヌ語の間に遠い親族関係があるのではないかということがいわれはじめた。その例がたくさんこの論文にかかれている。そして語彙部分については方言辞典を利用し、語の分析・語源については、知里氏のものを利用しながら日本語とアイヌ語との語彙の類似をみつけている。
29.海保嶺夫(1979)『アイヌ人名の日本語化 「創氏 海保 嶺夫 改名」事始め』
特定の言語体系に照応した氏名の表現形式の、他言語の変化は、一見「文化交流」的に思われがちである。しかし、氏名の表現のあり方は、諸々の通過儀礼などと等しく、各民族固有の精神文化のあり方 民族意識 と密接不可分の関係にあり、物質的なものとは異って、主体的には起り難い現象である。現在、アイヌの人々は、戸籍上ではほぼ全員日本語式姓名を持っていると考えられる。しかし、アイヌ文化といわゆる日本文化は、共通要素を持つとはいえ異質の文化であり、氏名に関する一般的性格からすれば、かかる現象は自然発生的ではありえない。そしてアイヌ人名の日本語化は、18世紀末から19世紀後半にわたる蝦夷地周辺での幕藩制国家・近代天皇制国家とロシア帝国との国境紛争の一環として強行されたものであった。
30.和田完(1965)『アイヌ語病名について』
症状と病名(単純な他覚症状病名・痛みと病名・araka型病名の意義・〔病気〕を意味する一般語・koni型病名・症状の比喩的表現からなる病名・特記すべき症状病名)、応用薬物に関係ある病名、病因を病名としたもの、神話・伝説に関係ある病名、分析不能な病名についてかかれている。
31.田中聖子(1989)『蝦夷言葉』の「義経浄留理」について近世のアイヌ口承文芸の記録に関する 考察
江戸時代に日本人が記録したアイヌ語の資料がある。文字をもたぬアイヌにかわって、片仮名で、アイヌ語の語彙、会話、口頭で語り伝えられてきたさまざまな文芸、アイヌ語地名などがこの論文にかかれている。 『蝦夷言葉』は、市立函館図書館の所蔵本である。この図書館には近世アイヌ語資料が数多く保管されている。『蝦夷言葉』は縦約24.5cm、横約17cmの冊子本である。
32.http://city.hokkai.or.jp/〜ponniyay/ainu.html 『PonNitay‘s Page 小さな森の部屋へ 』
かつてアイヌの人々は北海道のことを“アイヌモシリ”(人間の静かな大地)と呼び、そこは彼らの自由の天地であった。そしてアイヌ民族の血を引くアーティストでトンコリ奏者?オキさんの造内コンサートツアーのことがかかれてある。
33.http://www.asahi−net.or.jp/〜hi5k−stu/ 『北海道のアイヌ語地名〜佐藤和美のホームページ〜』
北海道には本州以南とはちょっと感じの違う地名がならんでいる。この地名の多くは実はアイヌ語に由来している。そして日本語の中のアイヌ語もある。例えばラッコ、トナカイ、シシヤモなどである。そして地名の由来が忘れられると、伝説がうまれるという。「網走」という地名の由来もそうである、チパシリ伝説と呼ばれているのがそれである。むかし、白い大きな鳥が“チパシリ、チパシリ“と鳴いて飛んだとか、帽子岩の上で神様が”チパシリ、チパシリ“といって踊ったなどの伝説がある。
アイヌに関するインターネット
http://www2.marinet.or.jp/〜lin lin/
http://city.hokkai.or.jp/ 〜ponnitay/ainu.html
http://www.asahi-net.or.jp/ 〜hi5k-stu/