一般言語学演習
『日系ブラジル人の日本と日本語に対する意識』
桂木悦子
1。半田知雄「ブラジル日系社会における日本語の間題」(1980.10)『言語生活』346〜348号
日本語の分かる二世や、三世の割合が数値で記され、更に読み書きが出きる割合がその値より更に下回ることが述べられている。ほかに、邦字新聞なのに、入り込んでいるポルトガル語名詞に関しての記述、日系移民が自分の母国語を守るためにいかに努力しているかが書かれてあり、日本語の教育に関しても、三部に分けて述べている。最後に、筆者自身が移民の子としてやって来たこと、日系人の事情が書かれている。
2。馬瀬良雄「ブラジル便り」(1986.9)『言語生活』418号
筆者自身がブラジルの日系人の学生との会話の中で耳にした言語特徴を述べている。微妙な日本語のニュアンスや日本語にはないポルトガル語名詞が、日本語化されて多く使われていること、そしてやはり、音声・アクセントなどが取り上げられている。この結論に関しても、母語の干渉が著しく、プラジルにおける日本語教育は、日系人を対象にするきにおいても日本語とポルトガル語との対照の上に立って行われるべきで、それなしでは成功はおぼっかないことを示唆している。
3。長尾勇「ブラジル日系人の日本語」(1977.5)『言語生活』308号
短歌でブラジルー世移民の歌が綴られていて、当時における日系人の年代別のグラフが男女別れて載せられている。他、彼らが間違えがちな日本語や、ブラジルにおけるコロニア語と、日本語の混用が述べられている。そして、彼らの雑婚率が年々上がっていることが、グラフにされ読み取れる。
4。ソーニア・レジナ・ロンギ「ブラジルにおける日系社会の言語保持と自己同一性との関係」(1982)
ブラジル日系人を調査する前に、ホノルルとシアトルの日系人三世代の自己同一性を調査し、彼らの日本的な自己同一性が薄くなっていくことを判明させる。これらを念頭において同様の現象がブラジル日系人にも起こっていて、祖先の言語を保持する関心も薄いだろうという想定の元で、考察されている。現在東京に住んでいる人と、その周辺のブラジル日系人を調査して、教育、言語、宗教などが表に示されている。
5、鈴木英夫「ブラジルにおける日本語の変容」(1982)ブラジルの日系社会における日本語が、ブラジルのポルトガル語との併用を主たる契機としてどのように変化してきたかをサンパウロ市で刊行されている三種の邦字新聞(サンパウロ新聞・パウリスタ新聞・日伯毎日新聞)を資料に考察している。筆者は、ブラジルの日本語は現代日本語の一部である、と述べている。ただ、ブラジル語の干渉が強く、日本語からの逸脱の度合いはかなり深い、とも述べている。
6。本堂寛「日本語使用と日本的意識一ブラジル日系人の場合一(1990)『東北大学日本語教育研究論集』
ブラジル日系人を調査対象として、日本語の使用実態や意識などを考えている。(1980年5〜12月にかけて)最初に、暗算を日本語でするといった人をAグループ、ポルトガル語でするといった人をBグループに分け、これを基本にして手紙、映画、音楽に関する調査や、日本語の読み書き、敬語に対する意識、日本語の是非などの調査も表にまとめられている。
7。永田高志rブラジル日系社会の日本語言語生活一パラナ州アサイを例に一」(1990.12)『近畿大学文芸学部論集二巻・二号』
パラナ州北部のトレス・バラス移住地(現在のアサイ)を調査対象とし、13歳を区切りとし、13以降を日本で過ごした人を一世、それ以前にプラジルに来た人を準二世、一世及び準二を親に持っものは二世、二世の子は三世と定義している。調査内容は1、ブラジル日系人の日本語能力、2、ブラジル日系人の日本語使用実態である。中には日本語しか満足に話せない祖父母世代と、ポルトガル語しか満足に話せない孫という関係ができつつあるという結果が浮き彫りとなっている。筆者は、30代から20代にかけて大きく日本語が衰退していく様子が見える、と述べている。
8。山中正剛『地域国際化と来住外国人のコミュニケーション実態一群馬県大泉町来住日系プラジル人の調査報告一」(1993)『コミュニケーション紀要・成城大学7』
日系ブラジル人が多く住んでいる群馬県大泉町のこれまでの歴史や、外国人労働者のための施設などが書かれてあり、地域住民との交流もあることなどがわかる。そして、大泉町に住んでいる日系ブラジル人を中心に日本語が話せるか、来日に関しての意識、仕事、住まい、人閻関係、身の回りのコミュニケーションなどを調査している。また、来日目的に関して、出稼ぎより、祖父母・父母の国を体験するための方が多いというのが、他の外国人労働者と異なる、ということが述べられている。
9。永田高志「ブラジル日系人の日本語の特徴一戦前移民地アサイを例に一」(1991.3)『近畿大学文芸学部論集二巻・三号』
ブラジルのアサイを取り止げ、日本のどのあたりからの移民が多いかを示した上で、日系人の日本語の言語的特徴を調査している。その結果、ブラジル日本語方言の特徴として1、ポルトガル語の影響が強い、2、複雑な混清である、3、学校教育を通じての標準語や移民出身県の多くを占める西日本方言、とくに九州方言によって平均化される、が挙げられている。2に関しては、併用が非常に多いこと、つまり一世は方言を母語、ポルトガル語が地域共通語であり、準二・二世は地域共通語が唯一日本語であり、三世に関してはほぼポルトガル語で、日本語はいずれ消滅するだろう、と述べられている。
10。エレン・ナカミズ「日本在住プラジル人労働者における社会的ネットワークと日本語使用」(1996)『阪大日本語研究・8』
日本に在住しているブラジル人は20万人近くで、大半は日系人であること。そして外面的には変わらないが、内面的には多くの相逢点があることが述べられている。「世代」という要因だけで日系人をめぐる日本語能力・日本語使用の諸間題を片づけないで「言語的背景」を念頭に、彼らの社会的ネットワークや30代前半の二世の男性のネットワークにっいて考えている。その結果、コード切り替えに関しては「年齢」による使い分けをする意識もない、と出たが、場面の条件に関しては「年齢」よりも話し相手との「心理的な距離」が行動を左右する、と述べられている。
11。エレン・ナカミズ「日本語における切り替えの習得段階一ブラジル人就労者の例一(1997)『阪大日本語研究・9』
「職場内・外」がスタンスの切り替えの境目だと考え、インターアクション場面で使用されている日本語のバラエティについて詳細している。滋賀在住のブラジル人話者達の「職場内・外」における切り替えや、方言と標準語の切り替えが述べられている。ほか、ポルトガル語の〔ne〕と、日本語への転移について、説明されている。
12.『日系センター(パラグアイ・セントロ日系のホームページ)』(1998.5.3)http://www。geocities.co.jp/wa11Street/2642/index.htm1
パラグアイ・セントロ日系の生い立ちや、センターの建物の紹介が写真付きで紹介されている。一会員である作者が参加したイベントや、現地の人との交流を報告している。
13。『サンパウロ新聞』http://ww.spshimbm.com/br/index0.htm1。(1998.7
日本語で書かれた新聞で、ブラジルの政治や経済などか載せられ、ほとんど一般の新聞と変わらない。だが、社会ニュースとして、日系社会の話題が取り止げられていて、現地の情報がよく分かる。カーニバルの写真集などもあって実にブラジルらしい。
14.rブラジル情報いろいろ』(1998.5)
http://ww.pu1to.dti/ne/jp/”kkawam/プラジルの生活に便利なことに関する情報や、ブラジルの日系福祉団体に関しては、一般的に知られている日系施設が載せられているのと、最近では日本からのいわゆる”出稼ぎ帰り”者の心理相談の窓口が開設されたことが載せられている。ブラジル日系関係の間い合わせ先などもある。
15。『在日ブラジル大使館』
http://ww冊。brasemb.or.jp/braji1/brief/peop1e/htm11#top
日本人がブラジルに移り住む前に多くの外国人がブラジルに移り住んだことや、日系移民に関しては1908年に781名の人が笠戸丸という船でブラジルに渡ったこと、1969年までには移住者が24万7312人にも増えたことが説明されている。在日プラジル人の人達のためにイベントの紹介や、語学(ポルトガル語)の番組紹介、音楽祭の案内、ブラジルに関するニュースなどが細かく分けられて紹介されている。
16、『在日ブラジル人のためのサイト〔BRAZNET〕』
http://o1.braznet.or.jp/
日本人の見るものはあまりなく、その名のとおりあくまで在日ブラジル人の人のための
ものだと思われる。幾つかの項目に分かれ、その中でもWORLD1000というコーナーでは、あらゆる情報が検索できるようになっている。(WORLD1000→http://ww.hitbox.cp/wc/wor1d.h阯。)
17、『CIRANDA』(1996.11)
http://www1.nisiq.net/”a1isa/ciranda−jp.htm1
日本で住んでいるブラジル人の人に、日本でもっと快適に過ごしてもらいたい、というブラジル人と、日本をよく知ってもらいたいという日本人が作ったホームページ。日本語とポルトガル語のどちらでも見ることができる。ブラジルや日本の企業紹介、学校の紹介などもある。
18。『イグアス農業協同組合』(1998.7)
http://www.geocities.com/Tokyo/Temp1e/8632/index.htm1
パラグアイやイグアスという聞き慣れない町の紹介が載せられている。更に、イグアスという農業地が、今年入植から36年の日系移住地であることや、地理概要や、日本人会や日本語学校についても紹介されている。日本語学校に関しては1963年に設立され、現在は6年制/』淳校、3年制中学校があり、全く話せない子にはr特別コース」があるらしい。現在/』淳校には125人、中学椥こは50人が在席しているが、非日系の生徒もいること、非日系の人が教壇に立っていることが載せられている。教室内の写真も載せられている。
19.r日本人・日系人』
http://www.dこinet.or.jp/”mitsui99/kanko/nikkei.html
パラグアイの日本人・日系人が現在約7千人にものぼること、日系人がブラジル、ペルー、アルゼンチン、パラグアイの順に多くいることが書かれてある。最初の日系人集団移住が今から61年前であること、その場所などがわかる。そのほか、日本人会などの組織の紹介、現在の状況などが載せられている。
20。『外国人手記』
httP://wπ”。yui.or.jp/tia/me29/we297.ht皿1
日系ブラジル人の小原洋子さんが父と母の国、ニッポンについて述べている。日本に来たときの苦労や、差別、ブラジル日系人としての楽しみなどのほかに、日本に来てからのことが日記風に書かれている。