一般言語学演習
「在日中国人における諸問題について」
51111 藤原 奈央
◎はじめに
まず、在日中国人の占める割合についてであるが、1982年12月末現在における国籍別の外国人登録人員によると、韓国・朝鮮が66万9854人、83%(国籍別第1位)についで、中国は5万9122人、7,4%(同第2位)という数値である。圧倒的に在日韓国・朝鮮人の数が多いことがわかるが、在日中国人の問題は、在日韓国・朝鮮人ほどには表面化していないのが現状である。在日中国人には大きく分けて3つの主要な像がある。第一の像は、戦前の強制連行にかかわるものである。第二の像とは、外国人労働者問題に関わるものである。そして第三の像とは、「中華街」にかかわるものである。
第一の像
戦前までは朝鮮半島も台湾もともに日本の植民地として統治下に置かれていたということから、在日韓国・朝鮮人と在日中国人がほぼ同様の歴史背景を持つことが類推される。しかし台湾出身者で戦前から日本に在住している人々とその子孫たちは、1984年時点で在日中国人全体の10%前後である。そこで他の理由で在住している在日中国人像をあげる。
第二の像
第二の像として、外国人労働者に関連するものがある。これは第一の像とは逆に近年の現象から発している。(ただし、日本による中国侵略の過程において、労働力不足を補うために、「契約労働」の名のもとに、華北から強制連行がおこなわれたという事実もある。)日本語学校などで学ぶ就学生という資格で日本に入国する外国人が急増したことは、記憶に新しい。これは近年まで日本語学校が野放し状態であったということが大きい。実際、1988年の統計で、就学生の在留資格で外国人登録している中国人数は3万5388人(27,3%)となっている。
第三の像
第三の像として「中華街」にかかわるものである。横浜や神戸の「中華街」はつとに有名である。この「中華街」を形成してきた担い手は、就学生でも、強制連行によって日本に居住することになった人々でもなく、彼らは、台湾が日本の植民地にされる以前から、横浜・神戸のみならず大阪・函館・長崎に移住してきた中国人(当時の区分でいえば「清国人」)である。このように現在日本に在住する中国人の像は、多岐にわたっている。このことが、人数が比較的少ないという量的な原因とともに、在日韓国・朝鮮人との問題の現れ方の違い、その顕著さの違いに考えられる原因ではないだろうか。
◎在日中国人が抱える問題の非顕在性
推測できるかぎりにおいて、在日中国人には以下のような諸問題がのしかかっていると考えられる。
1 権利・義務の問題
すべての在留外国人には、外国人登録証の常時携帯義務があり、しかも一定間隔ごとに在留資格の更新と登録証の切り替えを行わなければならない。さらにその際に、指紋押捺が義務づけられているのである。この指紋押捺義務は人権侵害として、しばしば批判の対象とされており、部分的には廃止の方向へ向きつつはあるが、いまだに全廃されたわけでもないし、今までこのような義務が課せられてきたとも事実である。「日本人」には強要されることのない煩わしい義務がある一方で、「日本人」と同様に納税義務が課せられている。税金の納入を含めた市民的な義務を果しているのだから、登録証携行などの煩雑な義務からは免れてもしかるべきだし、「日本人」と同等の権利が保障されるべきだ、という主張はよく聞かれる。保障が求められている権利とは、公務員資格制限の撤廃による職業選択の自由は、参政権などである。
2 就職、結婚などにおける諸障害
前項の法制度上、行政上の制限のほかに、私企業への就職や、「日本人」との結婚においてもしばしば障害にぶつかっていることは想像に難くない。このような社会的差別による諸障害は、アパートを借りる際などの、実に細かい面にまで広く及んでいる。
3 国籍法と帰化行政
上記のような法制度的、社会的な諸制度を克服する一つの手段として、日本国籍を取得するという方法がある。もしも日本の国籍法が出生地主義を採っていたならば、日本で生まれた二世・三世は容易に日本国籍をとることが可能であった。しかし、日本の国籍法は最近まで父系血統主義を採ってきたため、父親が日本国籍でないかぎり、日本国籍の取得は、帰化による方法以外ではほとんどありえなかった。そして、この帰化行政が帰化者の「民族的出自」を全面的に否認する形で行われているため、帰化を考えている人々も二の足を踏むといわれる。(帰化−他国の国籍を得て、その国民となること。)
4 戦争責任、戦後責任
日本による台湾の植民地支配や、中国侵略など、容易にぬぐいさることのできない悲惨な記憶は、在日韓国・朝鮮人と比しても決して引けをとらないと思われる。 強制連行や強制労働、朝鮮における「創氏改名」にあたる台湾における「改正名」、日本軍とみなされて戦争犯罪人にされた人々、それにもかかわらず恩給を受けられない人々。数え上げれば、それこそきりがないであろう。
◎在日中国人(華僑)における子弟教育の問題
在日中国人の子弟教育は、幇組織、幇社会を背景とした華僑学校として出発し、必要とされかつ可能であるならば、一つの地域に複数の学校が併立することもあった。ここでは幇派主義、同郷論理を色濃く映し出している時期の子弟教育について述べる。在日中国人の主要定着地域における華僑学校の、名称、活動期間、経営母体、使用言語を揚げた。これによって明らかなように、戦後においてはどの学校においても、使用言語が北京語一色になっていいるのとは対照的に、戦後においては学校ごとの多様性に富んでいる。まず前提として確認すべきことは、教育言語の選択は、生徒が決めることではなく、親が子供にどのような言葉で教育を施したいかによって決定されるということである。すなわち、可能なかぎり、親の出身地の言葉(母語)によって教育を受けさせようとする意思が働いているのである。
これは一つには家庭内でのコミュニケ−ションの円滑性を保つという意味がある。移住後の世代が下がるにしたがって、一世の母語はいやおうなしに稀薄になっていき、居住地の言葉の通用度が濃くなっていく。別言すれば、何の手だても講じないままに任せておけば、世代間で共通の言葉をうしなってしまうことにもなりかねない。そのようなことを防ぐために、母語による教育を子弟に受けさせ、老世代との意思疎通を可能にしておこうとしたのである。
しかしながら、このことよりももっと重要なことは、有事の際に居住地を引き払い、家族全員で故郷に戻らなければならなくなったときのための準備である。そのような場合、特定の地域を除けば、北京語(官話・普通後)を使いこなすことができてもほとんど役に立つことはない。それどころか、かなりの不都合を感じざるをえないであろう。そのため、いつ何時故郷に戻ることになったとしても、子供たちが困ることのないように配慮し、自分の母語によって子弟教育を行うとしたのである。しかし、母語を根底として成立していた戦前における教育は戻るべき真の故郷を想像する基盤となっていたのに対して、現在の在日中国人子弟にとっては、母語はすでに「日本語」になってしまっている。彼らにとって、「中国語」はひとつの外国語または教養語として民俗学校入学後、初めて触れるものとなっている。これを、いずれは自分の根っこが帰るべき場としての「本国」と直結するのは、きわめて困難であり、日常的にそのつながりを意識することは、まずないといってよいだろう。
したがって、その教育のあり方において、在日中国人の僑居の論理の後退と定着の論理の伸長が表れていると解釈できる。 さらに高校・大学への進学率の上昇に伴い、小・中学校も日本の学校に就学させるという在日中国人の割合も増加してきたのである。これは、受験におる有利、不利を見極めての選択である。そしてこの趨勢が、逆に民族学校における内容にまで影響を及ぼし、受験にも対応できるように時間割を組むことを検討し、実行せざるをえなくなっているのである。これは定着の論理の一層の広がりを物語っている。また同時に、「日本語」と「中国語」の二重カリキュラムという妥協線まで譲らなければならなくなり、それによって教育を受ける側も行う側も双方が、過重負担を抱え込まなければならないという苦悶も露呈しているのである。
(歴史とアイデンティティ『在日中国人』永野 武著 参照)
一般言語学演習課題
在日中国人(子弟も含む)の多重言語生活
51111 藤原 奈央
◇はじめに
上のテ−マについて、関連する情報、文献等紹介する。ただし、在日中国人にテ−マを絞ると、かなり数が限られてくるので、「日本語を学習する中国人」や日本語学習者全般というように範囲を広げてみた。また、中国人が日本語を学習するにあたって、母語の干渉などによりどのような誤りに陥りやすいか、といった研究をした資料も挙げてみることにした。なお、インタ−ネットでは、在日中国人に役立つ生活情報を提供したり、活動を行っているクラブ、団体などのホ−ムペ−ジを掲載した。
◇インタ−ネット
@
http;//www.yasuda.comm.waseda.ac.jp/ jimc-ao/enjoy-culb/「縁聚会」(エンジョイクラブ)
在日中国人留学生を中心として、活動するクラブ。主な活動は中国旅行、中国語カラオケ大会、中国曲クリスマスデイスコパ−テイ−、中国語サロン、中国料理パ−テイ−等。中国に関心を持っている日本人と日本に在住する中国人がたくさん入会している。
A
http;//www2.odn.ne.jp/ cai57030/diwen-jyouhousya.html「帝文情報社」
・中国の関連情報及びホ−ムペ−ジの紹介
・在日中国人に役立つ日本の関連情報及びホ−ムペ−ジの紹介
「在日生活」
*主なニュ−ス:朝日新聞、読売新聞、毎日新聞、日本経済新聞
*交通機関情報 *日本の大学ガイド *就職サイトのご案内
*鉄道時刻表、乗り換え案内 *日中航空時刻国内線スケジュ−ル
*中国へ格安国際電話 *今日の出来事
・中国語サ−ビス(日本語 中国語の翻訳、コンピュ−タ−の中国語システムの構築など)業務
・誰でも自分がしたい事、売りたい事、買いたい事、などを掲示板で無料掲載する。
・個人ホ−ムペ−ジの掲載
B
http://search.yahoo.co.jp/bin/search?p「中国オンラインマガジン編集部」
China online Magazines(COM)編集部は、「華声和語」(日本語)「東北風」(中国語)「网絡技朮文摘」(中国語)といった、中日関係および在日中国人コミュニテイに関するニュ−スを中心とするオンライン雑誌を編集する非営利、非政治目的のボランテイア組織。インタ−ネット上にいる在日中国人をはじめ、中国に関心をもつ方すべてを対象。これらの雑誌は、主に日本に在住するボランテイアによって編集され、無料で提供されている。1994年11月COMの発足以来、「華声和語」は述べ142号、「東北風」は述べ35号それぞれ発足。
◇雑誌
@ 「月間言語」 Vol.20 No.8 (1991・8)
特集/日本のバイリンガリズム
珊珊の場合−在日中国人子弟の二言語併用 (沈 国威)
日本では、華僑を含む多くの外国人、或いは中国語を母語とする人々が様々な環境の中で二重言語生活を営んでいる。ここでは、そうした人々の中から特に在日中国人留学生の子弟に焦点を絞って、その二言語併用の実態を観察している。一般に成人の外国語学習という点において、留学生本人とその配偶者は、彼らにとって、日本語はあくまでも外国語であって、母語の中国語に比べてなお従属的な地位の留まっている。日本語の方には、口頭表現にも書記表現にもなんらかの形で欠陥が生じやすく、コミュニケ−ションにもいわゆる誤用による失敗などの危険性が伴う。従って、完全な二言語併用の状態までにはなお一定の距離があると言わざるを得ない。
一方、彼らの子弟たち、即ち中国人留学生を父母とする児童たちは、親とは異なった日本語習得の過程を体験し、より自然習得の形に近い環境で育つものが多い。その意味で、彼らのバイリンガルな言語形成の過程には、種々の示唆に富む現象が観察されて興味深い 片親が中国人の場合のみならず、両親ともがそうである場合でも、日本で生まれた子供は、意外にもその多くが中国語を話せない。これは中国語コミュニテイ−が存在しないことに関連するものと思われる。
一方、小学校低学年前後に来日した児童は、すでに中国語を基本的に習得しているため、日本の小学校に中途編入された彼らの多くは、一年ほどで日本語を覚え、中国語と日本語のバイリンガリズムを体験することになる。六歳半ばに来日してきた珊珊という女児の例をとり、来日当初は日本語を全く理解しなかった彼女は、一年たちコミュニケ−ションに必要な日本語を一通り身につけると、次第にそれまでの優位性を日本語に譲りつつあることが明らかになっている。つまり、日本語が主位の言語であり、主動の言語であるのに対して、逆に、中国語は、親とのコミュニケ−ションを維持するための、従位的で、受動的な言語になってしまっている。
ただし、二つの言語は彼女の頭の中では未だ内在的なつながりをもっていないようである。同時に、このように一見別々に習得された二つの言語が、互いに影響し合っているのも事実である。とりわけ日本語の干渉によって中国語が変容している。それらの干渉のパタ−ンを、1アクセントまたはイントネ−ションについて、2数量表現について、3感嘆詞または応答語について、などにわけて検討している。
A「月間日本語」(1994・8)
特集/母語で変わる教え方のポイント(日本語
vs英・中・韓)中国語遍
在日中国人など、中国語を母語とする日本語学習者の人達にとって、日本語と中国語の違いがはっきりと分かっていると、母国語の干渉など2言語を混同して使用してしまったり、日本語の誤用を極力減らすことができるのではないか、と思う。中国語は「独立語」的であり、助詞や動詞などの活用がなく、日本語とは性格が異なる。待遇表現もそれほど複雑なものはない。「共通」と思われがちな漢字でさえ、意味が異なるものがかなりある。
ここでは、助詞「の」、可能形、受給表現と待遇表現、受身形と使役形、といった文法上の誤用や、日中同形語といった語彙・意味上の誤用を例を挙げて説明している。
B 「月刊言語」 Vol.13 No.8 (1984・8)
特集/日本語を学ぶ人々
「長春の日本語教室」 (杉山 太郎)
在日中国人という視点を少し変えてみて、この論文から中国での日本語教育の状況を知ることができる。(ただし、少し昔のことになる)
以下、筆者の論文を要約する。
まず、中国における日本語学習者は、ラジオ講座や私的教室・職場などのいわゆる業余で勉強するものと、正規の学校で学ぶものに大別できる。前者の学習の動機は様々であるが、工場の技術者など仕事上日本語文献の読解を必要とする人々が多い。学校でいえば、普通の中等教育機関である初級中学と高級中学の中に外国語として日本語を履修させる学校がある。また中等教育機関ではあるが、外国語教育に重点をおいた学校があり、○○外国語学校と名づけられている。これら中学校段階から日本語を学習している学生はきわめて優秀であり、発音についてもあまり問題を感じさせない。高等教育機関にはいろいろな日本語教育があるが、数的にもっとも多いのは理工系学生を対象としたものであり、次に多いのが、文科系の一般学生で日本語を学ぶものである。数は少ないが日本語を専門的に学習する学生もいる。将来は日本語学や日本文学などの研究者、或いは日本語教師、実務につくことが期待されるものと、様々である。予備学校は中国ご日本の政府間協定にもとづき、日本から派遣された日本人教師が主として授業を担当し、中国人の教師が副として授業をもつ。長春の予備学校では日本人が主として教えることもあり、授業は中国人の先生が中国人の学生を相手に直接法で授業を行うことになる。教室の中では誰も一切中国語を使わない。そして直接法の効果は極めて高い。さらに著者は、中国における日本語学習者の発音の問題、漢字の問題にも触れる。
C 「言語生活」 (1983・4) No.376
特集/日本語教育と二重言語生活
「多重言語生活の時代」 (比嘉正範)
ここでは、在日中国人に関わらず、日本語の国際化、民主主義の発展という観点から、様々な多重言語生活について述べられている。筆者はまず、冒頭で、「近年、単一言語の国と一般に言われている日本においてさえも、多重言語生活が社会的に注目されるようになり、その調査研究が行われるようになって生きた。」と述べ、その理由として、日本語と外国語の多重言語生活をする日本人と外国人の数が目立って増えてきたことと、もう一方では、日本語だけを使っている人にも厳密には多重言語生活をしていることが改めて認識されたためとしている。そして筆者は、多重言語生活に対する現代の関心は、言語生活を民主化する運動の一環であり、言語を差別や支配の手段として使用させないようにすることである。さらに言語生活の民主化の仕事の一つとして、言語に関する差別、偏見を取り除くことである、と述べている。 続いて、海外帰国子女の多重言語生活の場合と、在日外国人の多重言語生活の場合をそれぞれ大まかに説明している。
D 「日本語教育」 (1988・11) 66号
「日本語学習者の多様化」 (上野 田鶴子)
日本語の学習者の多様化を、実態調査の結果を参照し、学習目的、学習者の出身地域、国、母語について概観している。アジアの学習者が最大の比率を示し、中国語あるいは韓国語を母語とする学習者が際立って多い。国内の場合、大学関係者の学習者が最も多く、次に、初・中等教育の外国人子弟(このうち、半分以上が在日米国関係者の子弟、残りがインタ−ナショナル・スク−ル等で学んでいる子供たち)、一般成人となっている。海外では、中等教育における学習者が最も多く、これに大学レベルの学習者が続く。日本語が中等教育の外国語として地位を得てきていること、大学等における広範囲の研究分野に、科学・技術や企業の世界に役立つ日本語といった傾向が、学習者の多様化に大きく関与している、と発表している。
◇本
@ 「在日中国人」歴史とアイデンテイテイ (永野 武)
明石書店 1994年発行
この本の筆者は、在日中国人が抱える問題の非顕在性に疑問を抱き、その歴史、現状を様々な角度から検討している。その中で、華僑の在日中国人の子弟教育の問題についても触れられている箇所がある。 特に、華僑学校では何語(北京語、広東語、など)で教育を受けさせるのか、という問題において、親とのコミュニケ−ションにおいて、日本語の通用度の濃くなっていく子弟は一世の母語が稀薄になっていくため、世代間で共通の言葉を失わないために、また、いつ故郷に戻ることになったとしても子供たちが困ることのないように、親は子供に母語による教育を受けさせる。そして、すでに「日本語」が母語となってしまった現在の在日中国人子弟にとって、「中国語」はひとつの外国語または教養語として民族学校入学後、初めて触れるものとなり、さらにこうした現状が、民族学校を離れ、日本の学校への進学者の増加、日本への定着といった状況を導いている、といった興味深い問題についても述べられている。
◇論説資料
@ 日本語教育研究論集 (1983・8) 20巻 5号
「中国人に見られる日本語アクセント傾向」 (葵 全勝)
中国人はどういうアクセントで日本語を話す傾向があるのか、またどのような誤りをおかしやすいのか、ということを、著者は1980年に中国人日本語教師研修センターで調査した。
調査対象は北京、上海、四川省、大連の四つの外国語大学の日本語科の学生と一部の教師合わせて50人くらい。調査内容は日本語の2音節から4音節までの語についてどういうアクセントで話すかということと、複合語のばあいはどうなるか、という二点である。 その結果について、大多数の人にみられたアクセント傾向を、2音節語、3音節語、4音節語、複合語の場合についてそれぞれ結果を提示した。中国人の日本語アクセントは最後の音節が低くなりやすいということが分かり、著者は、何故そういうアクセント型になりやすいのか、その原因について、中国語の軽声の影響と、重軽音の影響の二つあると述べ、それぞれについて詳しく述べいる。(中国語の軽声;一部の音節が軽く、短く発音されるもの。重軽音;説明したり、強調したりするために、ある音節を軽く、ある音節を重く発音すること。)
以 上