一般言語学演習

黒人英語と琉球方言の比較

国文学科3回生61119

門林 万裕子

はじめに                             

標準語話者の方言に対する受け止め方は国、地域によって全く異なる。アメリカの黒人英語と日本の琉球方言はともに標準語政策が行われてきた。しかし、アメリカでは黒人英語は標準語話者からの軽視がひどいが、琉球方言にたいする標準語話者への態度は軽視とまではいかない。この違いを黒人英語、琉球方言、それぞれの歴史を振り返ることによって考察したい。

 

黒人英語について

 アメリカ合衆国は「人種のるつぼ」と呼ばれ様々な人種、言語、伝統などを異にする人々が融合している。そのため、アメリカ社会では社会層と人種の相違からおきる様々な言語の諸問題を抱えている。黒人英語の問題もその一つであり非標準英語の使用は黒人の「知的能力の低さ」が原因であるという考え方から入学、就職などで差別を受けている。黒人英語の問題が現在までにたどってきた経路を述べたい。

1861年共和党のリンカーンが大統領に当選したのをきっかけに南部は合衆国からの分離を宣言し、南北戦争が始まった。4年間の戦いの結果、北部が勝利をおさめ、1963年にはリンカーンによって奴隷解放宣言が出されたが、解放は形式的ですぐに人種差別が排除されたわけではない。黒人英語の言語的価値もなかなか認められず、1960年代初頭まで学校では黒人英語を直す「方言矯正教育」が行われていた。しかし、1964年には公民権法成立など黒人解放運動に大きな転機がおとずれ、学者の間で黒人英語を含む非標準的方言は完全な言語体系として認められるようになる。「都会方言」に関する言語学会が開かれ、二重方言使用政策の推進が進められた。二重方言教育政策は家庭内、友達同士の会話での非標準英語の使用に関して教師が蔑視したりやめさせたりしない。また、授業においては生徒の就職、出世にひびかないように標準英語教育を行うというものであった。しかし、この政策は標準語の自然的優位性を主張し方言撲滅を訴える教育者や二重方言使用政策の根拠は白人支配の存続にあると考える人々から批判を受けた。また、黒人児童には理解しやすい黒人俗英語で授業を行うという二重方言使用論者の考えは生徒に正しい英語を教えず、無教育のまま放っておくものであると黒人の親や黒人解放運動の指導者から批判を受けた。しかしながら、非標準語話者が標準英語を習得することは容易ではない。言語学者でありニューヨーク州立大学の教授J.C.フィッシャーは非標準英語使用者にたいする教育について、次の三つの点に注意すべきだと述べている。1、黒人の子供の言語習慣を変えようとしてはいけない。2、学生が2種の方言に通じるように教育しなければならない。3,標準語の使用者が標準語でない諸方言を認めるよう、教育しなければならない。1977年〜79年にミシガン州アン・アーバーで黒人の生徒15人が成績の悪さから教師に精神薄弱者とみなされ無視された事件が起こり、これに対して黒人の親達は学校側に黒人俗英語と標準英語の違いを考慮した教育を行うことを要求。それ以来、非標準英語使用者に対する特別教育が法律によって保障されることになった。現在、黒人の間では「黒人俗英語」と「黒人標準英語」の二重方言使用が行われている。標準英語の構文に黒人俗英語の母音体系、音律、語彙が加わった「黒人標準英語」は黒人としてのアイデンティティーを保ちながら、社会的な出世のために標準語に近づくものである。

 

琉球方言について

1879年、旧琉球藩が廃止されあらたに沖縄県がおかれ,沖縄県庁は師範学校内に会話伝習所をもうけ「東京の言葉」を練習させるようになった。1894年〜95年に起こった日清戦争における日本の勝利によって日本本土では国家統一の一手段として国語の統一が叫ばれ始める。かつては薩摩藩の属領として植民地的な圧制をうけていたがようやく近代的な国民国家としての日本の中に統合された琉球も例外ではなかった。1917年には「方言取締令」によって「方言札」なるものが発行されていた。中学校の校内で沖縄方言を使用した者は一寸か二寸ほどの木の札に罰札と書いたものを渡された。この札をもらった生徒は罰として素行点を2点づつひかれ、これをまぬがれるには方言を使用した他の生徒を見つけだし、自分の罰札をわたし、それを教師に届けなければならなかった。このように標準語の励行を迫られていた教師達は標準語を使うよう生徒達に盛んに勧めていたが首里・那覇の生徒達はそれでも方言を使用し、最終的にはたまりかねた生徒の不満から、この制度は廃止になった。沖縄県における標準語政策は単に方言の矯正と標準語普及への努力という問題だけではない。このころ沖縄では日清戦争以前の支配階級である琉球王国側(彼らは琉球王国復活を求める)と明治政府側と沖縄自由民権運動の指導者である謝花昇(じゃはなのぼる)に代表される民衆側との対立があった。最終的に旧琉球王国側は自らの特権の維持を放棄せざるを得なくなり、謝花昇も明治政府の弾圧の前に倒れた。沖縄の被支配階級は「琉球王国の復活に反対して民族的統合を求めつつ、その中で沖縄に対する差別政策の撤廃を要求し、日本本土の被支配階級との連帯において、自由と解放を求める」という姿勢をとっていたが謝花の死後、日本の国家権力への批判と反体制的姿勢を失い、天皇に象徴される帝国主義国家への帰属と同化を求めるものとなった。このような時代背景のもとで沖縄県における標準語政策は沖縄独自の言語、風俗、習慣の「日本化」、土着固有の伝統文化にたいする蔑視や抑圧と結びついていた。それは人民の連帯を強めるものではなく、帝国主義国家への帰属と献身をもとめる権力者側の政策の一環であった。沖縄はもはや日本の一県となり全国で通用する標準語を学ぶことは沖縄県民の知識を広げるためには不可欠であるともいえるのだが、この時代、多くの沖縄県民にとっては標準語とは「自分たちの生活を支配し、脅かすものの異質の言葉」であった。現在、沖縄では標準語は当たり前のように日常の生活の中で飛び交っているが、それまでにこのような経路があったのである。

 

終わりに 

方言に対する標準語話者の態度はその方言が存在する要因に関係するのではないだろうか。黒人英語は大航海時代の奴隷貿易が発端であるにしろ、他の大陸の住民がその地域に入りこんだという要因よりもむしろ階級差、教育の機会の有無が生んだ方言といえる。いまだに黒人差別は根絶されることなく黒人への偏見の目が標準語話者の黒人俗英語使用者への優越感を生み出している感がある。琉球方言は島国であるという地理的要因から成っているという意識が標準語話者にあるためそれほどまで軽視はされないのではないだろうか。また、上記で述べた時代の沖縄県民は別として、現代の日本人はアメリカ人や他国の人々に比べアイデンティティーが薄いような気がする。自分の出身地の方言が社会的に低い地位にあるとすれば容易に標準語を使おうとする。この傾向の副作用として、徐々にその地域地域の文化、伝統が失われつつあるのではないだろうか。

 

(参考文献) 

「沖縄における標準語政策の功罪」

新里 恵二 「言語生活」S.38.7 142号

沖縄における標準語政策の歴史を旧琉球藩の廃止、明治政府による国家統一などの歴史的背景をもとに振り返る。

 

「琉球語の秘密」                                

村山七郎 (1981年 筑摩書房)              

第1章 琉球語の二面性、第2章 琉球語の比較研究の方法、第3章 首里方言の音声変化、第4章 琉球語における日本語のワ行音とヤ行音の対応、第5章母音間−p−の消えない琉球単語の例、などの11章からなり他の言語と比較することによって琉球語の語源、特徴を探る。

                                        

「標準語に関する国民の認識意識程度〜大学生の弁論を聞いて〜」

三浦 勇二 「言語生活」S.38.7 142号

東京の大学生の弁論をきき、現在日本では方言と共通語の二重生活が行われているが共通語と方言は果たしてどのような関係にあるべきなのかを考える。

 

「アメリカの方言−研究と展望−」

長井善見 (1975年 (株)南雲堂)

アメリカ社会で社会層と人種の相違から起きる言語の諸問題を取り扱っている言語学者、心理学者、教育家、言語指導の専門家の論文集。

 

「言語社会学入門」

Joshua A.Fishman

湯川恭敏訳 (1974年 大修館書店)

社会言語学(小集団の間の相互作用や大集団への所属、言語使用と言語への態度、言語と行動の規範ならびにこれらの規範の変化 )の術語や概念を紹介する。

 

「英語学と英語研究」

伊藤健三・島岡丘・村田勇三郎 1982年

1言語観と英語教育、2教材−その選択基準、3英語の音声的特徴、4学習文法の4章からなり2章の教材では方言についてあつかっており、方言的差異を教育的観点から述べている。

 

「新・方言学を学ぶ人のために」

編者 徳川宗賢 ・真田信治 (1991年 世界思想社)

方言における言語生活、言語行動、言語接触、言語習得、言語計画などに関する論文が収められている。

 

「エスニックと言葉(ヒスパニック)」                     

清水あつ子「月刊言語」s61.9 15号

ラテンアメリカ人(ヒスパニック)の現状と彼らの使うスペイン語の影響を受けた英語について書かれている。

                                        

「アメリカ英語に標準語はあるか」                       

東 信行 「月刊言語」 s61.9 15号

英語の様々な変種を例に挙げ、アメリカ英語に標準語があるかどうかを考察している。

                                        

(インターネット)

「内間直二(日本語文化学科 日本語学・日本語教育学講座)                

 httpwww.l.chibauacjpjapaneseuchimahtml  

琉球方言の研究を通して、共通語を含めた日本語の歴史的変遷や現代日本語の大系、表現の構造、諸方言の違い、日本と社会、文化の問題を取り扱っている。

                                       

「八木書店古書部−古書目録(国語国文特 )05

http://wwwbookkandaorjpkosyo/1216/1216mo9−05.htm     

八木書店の琉球方言に関する古書目録である。

                                        

「本処あまみ庵書籍目録:k80」

http://wwwsynapseorjp/ amamian/k80.ktml

あまみ庵における書籍目録。

                                       

「太陽の溶ける海」

http://stysvccyamagutiuacjp/ b3959/Okinawaflamehtml

沖縄方言、琉球語についての考察。辞書、会話集、料理、雑文、卒論なども紹介している。

                                       

「わたしは有三」                                

http://stysv.ccyamaguchi−u.acjp/ b3959/Okinawaflamehtml

山口大学人文学部の学生上谷有三のホームページ。琉球方言、国際交流などをテーマにしている。                                   

 

「文献目録701〜749」                           

http://villageinfowebne.jp/ fvgm0090/honn07.htm

沖縄に関する学会誌、大学紀要、研究機関誌の文献目録である。          

                                        

(黒人英語)                                 

「俺たちのことば」

http;//wwwlu-pagesonetorjpba2/fusimidice6.html

黒人の文化ともいえるラップ・ミュージックをとおして黒人の自分たちの言葉に対するアイデンティティーの強さがうかがえる。表面だけを真似た日本のラップを批判。