日本語教育とバブル経済の関係について

 

教育学専攻 白山敬子

 

1.言語の「市場価値」

 

はじめに、言語は一般的には全て等価であると言われているが、果たして本当にそうであるのかについて検討する。

 

(1)言語市場

会話学校を例にあげて言語の社会的格差を説明すると、世界にはいくつもの言語があるが、その多くは日本で教えようにも受講者が少なくて会話学校は成立しない。一方、人気のある言語では会話学校の競争が激しく、授業料が高すぎれば受講者が集まらない。このことから言語は需要と供給の関係に支配されており、そこには格差が存在するといえるだろう。

 

(2)市場価値の計量

言語の市場価値を決定するものは、

イ・その言語の話者が多いか少ないか、

ロ・公用語としての採用数、

ハ・国家の経済力、

ニ・その言語でかかれた文学作品、文化的・歴史的遺産の質と量、

他にも識字率や出版物の多さも関係するが、コミュニケーションという観点から見た実用性が重要なのではないか。よって、言語市場における原理は、広く流通し、価値変動の少ない言語ほど好ましい、ということになるだろう。また、現代は一度はずみがつくと言語は一気に勢力を広げる(英語がその典型例にあげられる)。

 

(3)言語の価値の種類

まず、言語には知的価値と情的価値が存在する。

言語の知的価値というのは市場価値によって決定されたもので、簡単に言うとカネに換算するといくらになるか、である。また、情的価値は言語の個人心理的、感情的側面である。

情的価値は2つに分けられる。ひとつは絶対的情的価値で、母語に対しての価値である。もうひとつは相対的情的価値で、外国語に対しての心理的価値である。情的価値、とりわけ相対的情的価値は知的価値と反比例する。特に外国語としての学習者の数などに反比例する傾向がある。つまり外国人がある言語を話したときに、珍重されるか、当然のこととして無視されるかである。ここでも英語を例にあげるが、日本人がアメリカで英語を話しても喜ばれないが、アメリカ人が日本で日本語を話すと喜ばれたということだ。これは、日本語の基本会話をマスターすることはそれほど難しいことではない(井上・千野)が、日本語を難しいと考えることによって日本語の知的価値が低いことを認めたくなかったという民衆心理が働いていたことを示している。しかし、日本語の知的価値が向上した今日では外国人にも日本語を話すことが要求されているようだ。

 

以上のことをふまえた上で、日本語教育と経済の関係を考えていく。

 

 

2.日本語学習者と日本語学校の増加

この章では日本語学習に関する事物の数的変化をグラフ化して浮かび上がってくるものを読み取っていきたいと思う。

 

(1)日本語学校数について

図1では92年、94年に存在する日本語学校の設立年が示されている。2本の線の差はこの92年と94年の間の2年で廃校になった数を示している。ここでは83年頃から日本語学校の設立が増加しはじめ、90年にピークを迎えていることがわかる。しかし、94年の調査によると90年前後に設立された学校は相当潰れている。新しい学校ほど廃校になっているが、これはまさにバブル崩壊のパターンである。日本語学校数の変化と日本語学習者数の変化は連動している。次に日本語学習者数の変化を見ていきたい。

 

(2)国内外の日本語学習者数について

図2をみると88年、89年に爆発的に増えているが、このころは日本がバブルの絶頂にいたころである。90年には減少するがその後は再び増加している。ここで急激に伸びた項目は「大学教育を前提とする者」、「その他」である。この「その他」で最も多いのは「ビジネスマン、主婦等  成人一般対象」である(『平成5年度  国内における日本語教育の概要』より)が、彼らは89年末の「出入国管理及び難民認定法」の改正をうけた就労を目的とする中南米系日系人ではないかと思われる。彼らはビザを目的とした日本語学習者ということではないだろうか。そして90年に減少したのは、外務省の方針転換によって他の方法でもビザが取れることがわかったためではないかと言われている。しかし、「成人一般」が日本語を習うのは、自分の懐が豊かな時なのだろう。それゆえバブル経済の影響を正面から受けて大幅に減少したのだろう。だが、これでは90年以降に「その他」の学習者数が増えていることの説明にはなり得ない。もう一歩踏み込んで考えてみる必要がある。これは推論でしかないのだが、一旦は日本語学習を断念したものの、日本人とのコミュニケーションの必要性が増したために再び増加したのではないだろうか。あるいは不況といえども大して懐が痛まなかった、という可能性も否めない(外国人就労者は不況の際にかなり不利益を被るようにも思うが)。また、図3からわかることでは、中国人の登録者の伸びが著しい。ここで図2に戻って、何を目的とした学習者が増加・減少しているかをみると、90年に減少しているのは外国人師弟とその他で、「技術研修を目的とする者」と「大学教育を前提とする者」は増加している。「大学教育を前提とする者」については1984年の「留学生10万人受け入れ構想」による影響が大きいと言えよう。しかし、「技術研修目的の学習者」は91年に減少し、「大学教育を前提とする」学習者は93年に減少している。

 

また、図4では大洋州(オーストラリア周辺)、東アジアでの著しい伸びが見て取れる。これらの地域は地理的にも日本に近く、経済関係も緊密化していたためだろう(貿易は近いほど輸送費が安く済む)。これは90年までの統計なのでバブル崩壊後の変動が分からないのが残念だが、図5から、いったん減ることはあったとしてもやはり伸びていることが読み取れるように思う。しかし、バブル期の学習者がどれほどまじめに日本語の習得を目指していたかには疑問がある。なぜなら、短期の出稼ぎのために来日し、日本語は最低限必要なだけしか身につけようとしない場合もあるからだ。国内の日本語学習者数は短期的には言語市場の指標となるが、不法滞在についての行政の介入効果も絡むため、もっと長期的な指標の方が将来の予測に結び付く。次はその指標は何かを考えてみたい。

 

 

3、日本語学習者と経済

日本語学習者と経済、なかでも国民総生産の関係は長期的指標となり得るかを検討する。

 

様々なデータをグラフ化して比較したいが、生の数字のままでは難しいので伸び率を出したものが図5である。古い段階で各種の数字のそろっている1974年を基準としてその後の増加を比率で示した。みてみると、GNPはゆるやかに上昇しているので日本語学習者数との相関関係を示しているとはいいがたい。ここで際立っているのは海外の日本語学習者の増加で、約20年で20倍以上になった。国内の学習者数にはバブル崩壊の影響がみられ、90年には減少している。92年に存在した日本語学校数は約20倍になっているが国内の需要に比べて供給が多かったために94年までに廃校となったところも多い。市場原理からいって当然の結果であろう。「留学生10万人受け入れ構想」をうけた留学生の増加による日本語学校・日本語教師の需要はまだまだあるといえるが、現実に開校したりポストを探したりするのは難しいだろう。特に日本語教師の専任職につくのは、職場自体に不安定な材料を抱えているため困難であるようだ(専任職につく人は全体の4分の1以下・グラフは省略)。ここで再びGNPとの関係を見ると、1980年代前半までは増加率はほぼ一致しているがそれ以降は学習者・学校の伸び率のほうが大きい。これはなぜなのだろうか。経済発展がある程度をこえ、他国との競争に競り勝つと、途端に市場価値が上昇し、言語学習者が増加するのだろうか。いずれにせよ、日本語の市場価値発展には短期的傾向と長期的傾向があることが分かった。

 

 

4.まとめ

日本語の勢力の伸びはいつまで続くのだろうか。日本国内に限って言えば、日本の滞在する外国人が増えれば増えるほど国内の日本語学習者は増加するだろうが。相互に理解できない言語同士の話し手が共通の外国語で交渉できる可能性は、その外国語の学習者の増加によってさらに増える。その結果、市場価値の高い言語はますます有力になり、無力な言語は弱体化する。その中間の言語は、学習者の数を増やしていても将来的にもっと有力な言語に呑み込まれていくのではないだろうか。そのような視点から考えると、日本語は国内と海外でも観光地や日本人の多い土地、あるいは日本企業の工場周辺でしか使われなくなる可能性は否めない。実際、英語が国際語として勢力を伸ばしている。これからの世界の共通語は英語になるのではないか。国連加盟国の公用語でいちばん多いのは英語であり、英語の市場価値は非常に高いためだ。アジア諸国でも英語が有力になりつつある今、日本語の市場価値はいかほどのものなのか。他の言語と比べるには多言語場面で何番目に日本語が出るかを調べる

日本語はアジアでは2、3番目で、欧米では4、5番目に登場する外国語になっているそうだ。今のところ世界各地で、需要に応じてではあるが日本語使用は増えている。独仏伊西露の諸言語に比べると日本語の伸び率は大きい。しかし、日本は130年ほど前まで鎖国していたことを考えるとそれはあたりまえのことであろう。さて、日本語とバブル経済との関係をここでまとめると、やはり関係は深いだろう。しかし、どのような関係をもつかについてはまだまだ議論の余地があるように思う。

 

 

【参考文献】

井上史雄(199 )「日本語の市場価値の変動」

同(1993)「ことばの知的価値と情的価値」『言語』2212

遠藤織枝編(1995)『概説日本語教育』(三修社)

クルマス、フロリアン(1994)『ことばの経済学』(大修館書店)

文化庁文化部国語課『平成5年度  国内における日本語教育の概要』

同『平成7年度  国内における日本語教育の概要』