初出:『国文学』1998年6月号38-43頁
外国からみた日本語の方言
―海外の研究者が日本の方言研究について知りたがっていること―
ダニエル・ロング(東京都立大学)
初出:国文学1998年6月号38-43頁
日本語の方言が始めて西洋の文献に登場するのは、17世紀初期のキリシタン文献においてである。ロドリゲス(Joao Rodriguez)著の『日本大文典』(1604)には、「京へ筑紫に坂東さ」という俗諺が紹介されており、また、『日葡辞書』(1603)には、「方言」と記されたことばが400語以上収録されている。

以来、世界の言語学者が日本語の方言について研究しているが、海外の学者にとっては、日本語の方言はいまだに未知の世界である。方言学研究の国際会議に出席すると、そのような印象を受ける。いろいろな人に日本の方言について質問されるが、本稿では、こうした質問を含め、日本語の方言を専門にする外国の言語学者たちが知りたがっていることに回答するかたちで、以下のべてみたい。

@ 日本の方言はいくつあるか?

 日本の方言の数、分類(つまり、日本で言う方言区画)について尋ねる人は決して少なくない。これは、人間がどうしても大きな概念を細かく分類して把握しようとする傾向にあることを示してくれている。アメリカの英語における方言区画はあまり論争の対象にならない。(その例外の1つについては、Davis & Houck 1995を参照されたい。)だから、日本のように、ことばの地域差がはっきりしているフィールドに関心を寄せるのである。

A 沖縄の言語はどのように位置付けられているか?

 日本の方言区画について回答を得たら、こんどは沖縄のことばと日本語との関係について外国人研究者は尋ねてくる。沖縄の言語は日本語の姉妹語なのか、それとも日本語の中の一方言なのか、という言語系統論の質問である。

日本では、「琉球方言」という言い方が学者の間でも一般的であるが、英語で書かれた情報の多くは、本土諸方言との相互理解がないことなどから、琉球列島のことばを別の言語、しかも複数の言語として扱っているのである。例えば、インターネット上で公開されているエスノローグ(世界の言語に関する様々な情報が蓄積されているデータベース)を見ると、日本列島には15の言語があるとされている(Grimes 1996)。この根拠となっているのは、服部四郎(Wurm and Hattori 1981, 1983)の分類である。(なお、日本本土の方言に関するこの「エスノローグ」の記述には過ちがあまりにも多過ぎるが、このことは、後に述べる日本語方言に関する英語文献が不足していることとも関連していると思われる。)

B 日本の諸方言の間にはどの程度の差異があるか?

 アメリカでは方言の差が認められるものの、相互理解がないほど差異の大きい方言はほとんどないと言ってよい。一方、東洋では、中国語の例がよく知られているが、中国語では、「方言」と呼ばれている様々な言語体系はむしろヨーロッパでいう姉妹語に近い。中国語の「方言」は相互理解がないほど差異が大きい。こうした状況を知っている西洋の言語学者は日本語の方言どうしの違いはどんなものなのかをよく質問する。

C 日本には「社会方言」はあるか?

 アメリカやイギリスなどの欧米諸国の言語方言には、地域方言の他に、社会階層によって異なる社会方言があることはよく知られているが、ラボフやトラッドギルの研究では社会階層と方言とが密接に関わっている。一方、日本のことを少しでも知っている大抵の人はburakuminという日本語起源の借用語とそのことばが示している社会階層の存在を知っている。

この人々はかつて特定の地域に居住させられていたことや、その差別問題が今日でも一部で続いていることを知っているので、彼らの話す日本語には何か別の特徴がないのかとたずねる人がいる。特徴はわずかながらあると示唆する研究調査のデータがあるが(Horn 1993:32-34)、現状として、このスピーチコミュニティの、言語体系、言語行動、言語意識に関する学問的な研究がほとんどないのは残念である。

D 日本語には「民族方言」はあるか?

 アメリカはよく「多民族社会」と言われている。その多様性が言語の面にも表れている。アメリカの方言学は、英語そのものの多面性以外にも、多言語との接触によって生じた言語変種を研究対象にしている。その最も有名な例はいわゆる「アフリカ系アメリカ人」が話す黒人俗英語であるが、これ以外にも、ユダヤ系、ヒスパニック系、アジア系、ハワイ先住民などが使う英語は、「民族方言」として研究されている(ロング 1991)。

 外国人の言語学者によく、「在日コリアン」の言語状況に関する研究があるかどうかを尋ねられるが、在日韓国・朝鮮人を対象とするこのような研究は始まったばかりである(任 1993、黄 1996)。

E 日本語にはピジンやクレオールのような現象はあるか?

 日本語は、言語接触と縁の深い言語である。まず、日本語そのものが接触言語に由来するという考え方がある。この説では、アルタイ系の言語を話す民族が大陸から日本列島に渡ってきたとき、オーストロネシア系の言語を話す先住民と接触して、彼らの語彙などの言語事項を取り入れたとする。

 しかし、日本語と、ピジンやクレオールとの関係は近代に出版された本にも出ている。1870年(明治9年)に、横浜で出版さらた“Yokohama Dialect”と名付けられた冊子は、文字どおり「横浜方言」について書かれたものというより、当時の外国人居住者と日本人との間で使われていたピジン・ジャパニーズを記述しているものである(Bishop of Homoco 1870)。また、金田一春彦は、1940年代の旧満州国で、現地の日本人住民と中国語話者との間に行われたピジンの会話例を、丸山林平(丸山 1942:138)から引用している。ただし、日本語に関する、この重要な事実は、金田一の初版(金田一 1957:18)、あるいはその英訳(Kindaichi 1978:38)には出てくるものの、30年後に出た新版(金田一 1988)には見当たらない。

 最近は、言語接触の結果生まれた「ハワイ方言」の日本語(Inoue 1991の単語表と文献目録参照)や、旧植民地における日本語と現地語との接触に関する研究(Sanada 1997)が発表されてきているが、こうした研究が海外の関心の的になることはほぼ間違いのないことであろう。

F 日本語でも女性の方が標準語をしゃべるか?

 欧米の言語では、女性の方が標準語により近いことばを使うと報告されている。性差による日本語の相違は、海外の言語学者の間でもよく知られているが、そこで、日本は他の言語と同様、女性の標準語志向が見られるかという質問をよく受ける。しかし、その一方で、この傾向にかかわる重要な指摘もいくつかなされている(井上 1991)。これらは、日本語を対象としている学者のみならず、言語学者一般にとっても貴重なデータなので、その存在をもっと積極的にアピールすべきである。

G 日本で方言学の研究は行われているのか?

 非常に残念なことに、日本では昔から方言の科学的研究がさかんに行われていることを意外に知らない人が多い。英語で書かれた方言学の代表的入門書を見ると、日本語の方言研究のことはほとんど紹介されていない。私は、大学の教科書として広く利用されている3つの本を調べた(Chambers and Trudgill 1980, Petyt 1980, Francis 1983)。いずれにも、フランス語やドイツ語の方言研究は紹介されているが、日本の方言学のことはまったく出てこない。

 最近の例外として、「社会言語学理論」と名付けられたチェンバーズの本がある。そこでは、有数の実時間変化の研究として、第3回鶴岡調査の結果を5頁に渡って紹介されているが、この出典にあげられているのは口頭発表の原稿だけであり、一般の学者には入手不可能なもので、極めて残念である(Chambers 1995: 194-198)。

H 日本語の方言研究に関する論文は なぜあまり英語で発表されない?

 以上の方言学に関する教科書の状況を見ると、欧米の学者は日本の方言研究にあまり興味をもっていないように受け取られるかもしれないが、私の経験ではそうではない。つまり、日本語の研究が方言学の入門書に登場しないのは、英語で書かれた情報が相対的に少ないからであって、けっして関心度が低いわけではないのである。

 一方、外国人の学者は日本語に関する言語学の論文にはどうせ興味がないだろう、と思い込んでいる日本の学者もいるようであるが、こうした誤解は結局、日本語の方言をなぜ研究するのかという意義に対する考え方の相違によるものであろう。すなわち、日本の方言研究者の多くは、その研究の最終的目的が「日本語を知ること」にあると考えているようであるが、海外の方言研究者の多くは、個別言語への理解ではなく、「人間の言語そのものを知ること」に関心があるのである。

 医学、工学などの研究分野では、国際的な情報交換が普通になっているが、日本の方言学は比較的内側向けの学問になっている。日本で出版されている学術論文の言語別の数を見れば、このことが明らかになる。1966年から1980年の4つの年に出版された論文の件数と、英語など日本語以外の言語で書かれたパーセントを下の表で示す(筆者の集計による)。日本で出版された医学関係の研究論文において、外国語で書かれたものは年々に増える傾向にある(マーハ1991:47)。また、日本語の音声学・音韻論に関する論文で、外国語で書かれたものは全体の3割を占めるが、日本語の方言学の外国語による論文は昔から少ない。この数値から見ても、日本語の方言学がなぜ海外の学者から無視されてきたかを知ることができる。

 なお、英語による日本の方言研究に関する情報については、英語などの西洋言語で書かれた1000件以上の書物を含む文献目録(Long 1997)を参照されたい。

日本で出版された学問的論文が書かれた言語
分野  研究論文  1966年  1970  1975  1980    合計 
方言  全体件数  156件  130  144  123  553 
英語等%  1.9%  3.1  0.7  1.4 
音韻・音声  全体件数  67件  78  101  97  343 
英語等%  10.4%  20.5  27.7  29.0  22.2 
一般  全体件数  8865件  10,459  9,743  10,935  40,002 
英語等%  24.0%  22.3  28.1  33.2  27.1 

I 日本の方言研究で役立つ情報はないか?

すでに女性の非標準語使用など、他言語の研究者にも知ってもらいたい研究結果や方法論について触れたが、ここでは、これら以外に、外国の言語学者にもっと知ってもらいたいこと、日本の方言学者がもっと自慢すべきことを4点ほどあげてみたい。(1)日本でよく使われているグロットグラムは、言語事象の地理的伝播を、「見掛け上時間」の中で捉らえるのに最適な道具であるが、欧米ではほとんど知られていない。(米国と日本の方言学の研究方法の違いについてはロング1996を参照されたい。)Inoue 1983などでは紹介されているが、グロットグラムは1つの言語事象だけではなく、使用頻度(真田 1979)の面や文法体系(ロング 1995)の伝播を追究する道具としても役立つことを広くアピールしなければならない。(2)世界的にも珍しい全国規模の語彙分布図集(LAJ)や貴重な文法事項の分布図集(GAJ)、そしてそれに基づいた研究を日本以外の学者にも知ってもらいたい。(3)国立国語研究所の実時間変化の言語調査などは、英文ではほんのわずかしか紹介されていない(Egawa et al. 1986)。(4)英語圏では、文法レベルにおける研究は非常に少ない。しかし、日本語では、ヴォイス(森山・渋谷 1988),アスペクト(井上 1992)、往来表現(陣内 1991)、授受表現(日高 1994)、待遇表現(Sanada 1993, 宮治 1996)などにおける変異研究は、語形の違いにとどまらず、統語論のレベルにまで浸透している。これらの言語事象を、日本語の一方言だけで起きる現象としてだけではなく、世界の中での一言語体系に見られるものとして把握されるためにも、その研究が是非広く知られるべきであると思う。

参考文献

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